明日仕事があるかないか。
そういった暮らしを20年あまり続けてきた。
気分的には日雇いと同じようだと思う。
そして年末になると決まってある感覚に襲われた。
「来年も自分はこの仕事を続けていられるのだろうか」と・・・
自分は,この世界に入った最初の年からその感覚に襲われ続けており、今では年末の定例行事のようになってしまっているその感覚を未だに払拭出来ずにいる。
何もできないくせに現場に入ってしまった僕は,デビュ−作「アクロバンチ」が終わりに近づいた12月、「これだけで終わるのか」と正直言って思っていた。
輝ける未来等ないものと思っていた。
そんな僕を一本の電話が救った。
それは,翌年の新番組「聖戦士ダンバイン」の主役決定を告げるものだった。
かろうじて首の皮一枚つながった僕は,来年もこの世界で生きていいよという何かの声を聞いたような気がした。
最初の3年位は無我夢中であり,とにかく走り続けるしかないといった感じで前しか見ていなかったと思う。
仕事は多かったのかというとそれほどでもなく,知り合いから、「結婚式の司会のバイトをやってみないか」と誘われ、ある事務所に行って説明を聞き、ノウハウが入っているテ−プを持ち返った事があった。
しかし,結局僕はそのバイトをやるようにならなくて済んでいた。
それは,或るキッカケから、CM、特にTV・CMのNAの仕事が突然舞い込み始めたからであった。
そのキッカケというのは,当時、松田聖子が唄う「天使のウインク」がバックに流れていた、ダイハツの「シャレ−ド」という車のTV・CMを急遽僕がやる事になった
からで、当初予定されていた方が、当日酷い風邪でどうにもならず、2番目の候補に挙がっていた僕に白羽の矢がたったというわけだ。
僕にとっては初めての大手のTV・CMだったのだが,それが思いの他好評だったようで、続々とTV・CMが入りだした。
勿論僕にとっては初めて行くスタジオばかりで,新鮮な緊張と驚きの只中にいたのではないかと思う。
中には,「〜さんから紹介されたんですよ、君ならこういうニュアンスを出せるんじゃないかって」と言われた現場もあり、それがつい一週間位前に仕事をしたディレクタ−の名前だと思いだし、体中が熱くなるのを感じた事もあった。
また,同じ声優仲間が見つけたのだが、ある雑誌に、「〜のNAはどなたなんですか?」という質問が載っていて、「それは声優の中原茂さんです」と答えられていた記事もあった。
僕はそれが凄く嬉しくて、何度も何度も読み返していた。
TV・CMには,15・30・60秒(中には5・10・12秒等もあるのだが)とあり、その中心となるのは15秒で、僕が当時呼ばれたCMの現場は、微妙なニュアンスを要求されるものが多かった。
そして,映像と音を聞いた瞬間にどれだけその雰囲気が掴めるか、ディレクタ−のダメ出しに、僅か一瞬ともいえる時間の中で素早く切り替え、答える事が出来るのか、否か。
これは,例えばテストが終わった段階で、ディレクタ−から、「今の雰囲気凄くよかったのでそれでいきましょう、後はもう少し、強さを入れてみて下さい、ただ柔らかさは失わずに・・・じゃあまわして行きますので!」という声がかかり、本番が始まる。
その間自分はというと,「ハイ、分りました」と答え、その世界に没入していく。
そこには何かを逡巡する暇など存在せず,ただ己の感性のみを信じ、「出来る」と強く思う事でしか潜り抜けられない境地のようなものがあったのかもしれない。
出てきたものに対しては,実際自分でも驚く場合もある。
それは,どんなものが零れ落ちてくるのかが僕自身にも分らない事がままあったからで、それだけスリリングであると言えたのかもしれない。
あの時僕は、短い時間、一瞬というあるかなきかの時間で表現出来るか否かというCMの仕事にのめり込んでいたし、現場独特の緊張感が好きだった。
「この仕事は出来るか出来ないか,上手いか下手かしかないから」と,ある事務所の社長に言われた強い言葉に,まだ若かった僕は恐怖心さえ抱いてもいたのだが、「この一言にどれだけの思いが込められるのか」という気持ちの方が勝っていた為、邁進する事が出来たのではないかと思う。
このCMとの出会いも,僕の生き方を語るうえで大きなファクタ−となったのだが、こういった出会いは様々な形で僕の前に姿を表している。
中でも「作品」や「役」との出会い。
一番は,やはり、デビュ−作「魔境伝説アクロバンチ・ジュン蘭堂役」、そして「聖戦士ダンバイン・ショウザマ役」「キャプテン翼・井沢守役」「超獣機神ダンク−ガ・式部雅人役」「アリオン・アリオン役」「ドラゴンボ−ルZ・人造人間17号役」「新機動戦記ガンダムW・トロワバ−トン役」。
洋画では,「ファミリ−タイズ・スキッピ−ハンドルマン役」「ビバリ−ヒルズ高校&青春白書・ブランドンウォルシュ役」。
NAでは,「食卓の王様」「贅沢な休日」「情熱大陸・番宣」
ゲ−ム関係では,「ロボット対戦・シリ−ズ」「遥かなる時空の中で1&2」
勿論この他にも僕は数多のいい作品・役達に出会ってきているのだが、前述の作品・役達は、その中でも特に、声優としての僕のキャリアに大きな影響を与えてくれたものだ。
「もうやめた方がいいんじゃないのか」「これ以上やっていてもダメなのではないのか」,そんな思いにとらわれていた僕を救ってくれたのは、紛れもなくこの作品・役達であった。
そして,ディレクタ−やプロデュ−サ−。
僕は自分の「20年」を振り返って見て,いい人、いい作品・役に巡り合えてきたんだなぁと今更ながらに思っている。
僕の中に殆どの作品・役達が残り、今も息づいているのも、そういった所以だからなのではないのかと思う。
「偶然などなく全ては必然の中にある」
少し違うかもしれないがこういう言葉がある。
「あの時もし」「あれがなければ」「あそこで何で・・・」等、もう一度あの時に戻
れたら、あんな間違いは決しておこさないのにといった悔恨は多くの人にあると思
う。
僕自身その繰り返しだったように思うし,逆に「あの時スタ−トしていたら今の僕はなかっただろうな」といった事もある。
それはまだ十代の頃。
僕は大学を中退する決意をし,ある専門学校に申し込みをしようと電話をかけた。
しかし,「今年度の願書の提出は昨日で締め切られましたので」と事務的に告げられ立ち竦む僕に、ピ−ピ−という発信音が耳に空しくいつまでも響いていた。
この後僕は休学という形をとり,改めて資金集めのアルバイトに精を出すのだが・・・
結果的には,この時もしこの専門学校に行っていたら、僕は声優にはなれていなかった。
何故ならこの年,翌々年僕がこの専門学校を卒業した後に入った「ボイスア−ツ」という、スタジオで実践的な勉強を積みながらプロを目指すというグル−プはまだ発足しておらず、ここの後ろ盾になっていたある事務所のマネ−ジャ−に声をかけられ、僕は「アクロバンチ」のオ−ディションを受ける事になったのだから。
この「ボイスア−ツ」との出会いも不思議といえば不思議であった。
当時まだ発刊されて間もない「ぴあ」のはみだし記事の一箇所に,本当に小さくその募集が載っていたのだが、何故「はみだし記事」も全て目を通していたのかと言うと、シンガ−ソングライタ−を志していた時から、情報を得る為に、目を皿のようにして読んでいたからであった。
そして,そこから、僕は大きなチャンスを掴む事になった。
多分あの時「アクロバンチ」のオ−ディションに受かっていなければ、僕は声優になれていなかったのではないかと思う。
でももしかすると,違ったアプロ−チでなれていたのかもしれない。
想像は色々出来るが,あの時が、僕にとっての千載一遇のチャンスであった事は間違いない。
そしてそれからも僕は,振り返れば「チャンスだった」という出会いと巡り合いながら、一歩づつ歩を進めてきた。
決して早くはないけれど,しっかりと地に足をつけて歩いてきた。
勿論,しっかり地に足をつけていると思いながら、フラフラしたり、道を踏み外しそうになったりした事もあったし、踏み外してたたらを踏んだり、倒れたりして、どろどろになりながら起き上がった事もあった。
後から来た人間にさっさと追い越された事もあった。
しかし,そういった多様な経験を経る中で培われてきた僕という存在は、いつも一つのあるところにしか帰結していかなかった。
「自分らしく生きる事」
全てを否定するわけではなく,全てを受け入れるわけでもなく、風にそよぐ葦のように、自然に在るがままの中原茂でいる事。
これは中々に難しい事のように思われがちだが,シンプルに考えれば、それ程難しい事ではないと思っている。
僕は多分,誰もが出来るようでいてそれが叶わない仕事をしているのだと思う。
いや,そもそもこれを「仕事」と呼んでいいものだろうか。
自分の中に確固たる「仕事」という意識があったのかというと,それは多分「否」である。
勿論僕はこの道のプロであるし,そこから生まれる「ギャラ」というものによって生活を維持し続けて行く事が出来ている。
しかし,「プロ」という意識はあっても、「仕事」という意識はやはり極めて稀簿だったというのは否めない。
それはまだ僕が,夢を見続けているからなのかもしれない。
夢見る頃を過ぎても,まだ夢の中にいるからなのかもしれない。
「歌う事」から「語る事」へ。
こんな言葉を憶いだした。
「歌は語るように,語りは唄うように」
一見違うように見えて本質は同じ僕の目指す世界。
そう,僕は最初から同じ方角に向かって歩いていたのだ。
何かに導かれるかのようだった今迄の道程。
僕がまだこの世界で生きている事が出来る不思議。
何度消えそうになった事か。
何度絶望したまま眠りそうになった事か。
その度に心の奥底で静かに燃える青白い炎を僕は感じていた。
「くそったれ!こんな事で負けてたまるか!!」
この思いがあるから,僕は今も生きている事が出来るのだろう。
この思いがなくなった時,僕は来年という新たな時間を迎える事が出来なくなるのだろう。
次の20年に向けて。
僕はいつものように歩き出す。
「今」を肌で感じ,「過去」に思いを馳せながら、そして「未来」を少し憂いつつ。
全ての思いを背負いながら,一歩一歩、踏み出していく。
何度季節が巡ろうとも,一歩一歩。
一歩を踏み出す事が出来続けていれば,何も怖がる事はない。
やがてその一歩が,遥かな高見へと僕を導いてくれる筈だから・・・
2002/1/12(土) 北鎌・小瀧美術館「カフェ〜Angeli〜」にて
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