「早すぎた伝説」

〜エピソ−ド1〜


尾崎豊の事をはじめて知ったのは,朝日新聞紙上だった。
その記事の内容は「今若者の間で話題になっている」という事と、「15の夜」という歌の歌詞だった。
僕はその「15の夜」の歌詞を読んだ時,「これは何だ・・・」とおもう程の、言葉では言い表せないショックを受けた。
そして僕の中に「尾崎豊」という名前がクッキリと刷り込まれていった。
しばらくして,たまたまチャンネルをひねったTV神奈川の画面に、尾崎豊の唄う「17歳の地図」のビデオクリップが流れていた。
その曲を聴き終わった僕は,先日のショックとそれ以上のなんともいえない気持ちに包まれ、地元のレコ−ド屋へと走った。
尾崎のファ−ストアルバム「17歳の地図」は,その時確か、2千何百枚しかプレスされていなかったのだが、僕は運よく手にいれる事ができた。
レコ−ドを置き,針を乗せる・・・
裏面にし,又針を乗せる・・・
はじめて聞く言葉,はじめて聞くメロディ−。
形という概念を飛び越えている作品達・・・
ここまで型というものにとらわれず,自由に、しかし一つの確固たる意思をもった尾崎の作品に触れ、尾崎の大いなる意志を前にして、僕は憑かれたように尾崎の曲を聴き続けた。
そのファ−ストアルバムには,今となっては尾崎の代名詞ともなった「I LOVE YOU」や、「オ−・マイ・リトル・ガ−ル」も収録されていたのだが、当時は「15の夜」や「17歳の地図」「僕が僕であるために」等に心を奪われていた・・・

〜エピソ−ド2〜

そんなある日,夜中に尾崎のドキュメンタリ−ともいうべき「早すぎる伝説」というタイトルの番組がオン・エア−される事になった。
内容は,尾崎の超ドアップ映像の独白・狭い部屋での尾崎の様々な心の葛藤をとらえた映像・そしてライブ映像で構成されていた。
尾崎のライブを見たことのなかった僕にとって,その映像は凄まじく衝撃的なものだった。
ステ−ジ上をところ狭しと走り回り暴れ回り,たたきつけるように唄い、叫び続ける尾崎・・・
圧倒的な尾崎という存在に,エネルギ−に巻き込まれ、翻弄され、僕はただただ、見つめ続けている事しかできなかった。
その時僕の脳裏をかすめたのは,
「こいつ今死んでもおかしくない・・・」
という言葉であった・・・

尾崎は10代のうちに3枚のアルバムを発表している。
「17歳の地図」・「回帰線」・「壊れた扉から」・・・
この3部作ともいうべき作品群は,尾崎豊というミュ−ジャンを、人間を知る上で、是非聴いてもらいたい3枚である。
ここに収められている作品達は,多分ある意味で誰にも超える事の出来ない「魂」を内包しているのではないかと僕は思っている。
エネルギッシュに疾走していた尾崎の,圧倒的な色褪せる事のない分身達である。
僕がカラオケでよく唄うのは,「I LOVE YOU」と「For-get-me-not」なのだが、「For-get-me-not」は、尾崎、10代最後の作品であったという。
「壊れた扉から」のレコ−ディングのラストの曲がこの作品であったという。
ある尾崎の特集番組で知ったのだが,この歌は、一発本番で録ったという・・・

〜エピソ−ド3〜

しばらくすると,尾崎はアメリカへ旅立ち、一年程音信不通の生活を送っているのだが、その後日本へ帰国、逮捕・拘留等の時を経てファンの前に再びその姿を見せたのは、はじめてTV番組に出演した時であった。
その番組は,確か「夜のヒットスタジオ」で、唄った歌は「太陽の破片」であった。
その時の尾崎はまだ少し太っており(釈放された時の尾崎は信じられない位、別人のように太っていた)、僕の知っている尾崎にはまだ戻っていないようであった。
歌声も少しぎこちなく感じられた。
しかし,こうして帰ってきた尾崎に、僕は心の中で惜しみない拍手を贈っていた。
様々な思いの交差する中,「おかえり」と・・・
そして久々のアルバム「街路樹」をリリ−ス。
また音楽活動を再開していく・・・
僕が25歳の時,「獣戦機隊ライブ」というのを、東京をかわきりに5ヶ所で行ったのだが、その時僕はどうしても、尾崎の「17歳の地図」が唄いたくて、ごりおしにも近い形で、この作品を自分のお気に入りの曲のコ−ナ−の歌として唄う事が出来るようにした。
その時の僕の衣装は,今となっては非常に懐かしい「タケノコファッション」であったのだが、本当は、Tシャツとジ−ンズで唄いたかったというのが本音だった。
ただそのライブの性質上やむおえなかったというのが実情である。
僕は「17歳の地図」を力の限り熱唱した。
そしていつか,尾崎のステ−ジをこの目で見たいと思っていた・・・

尾崎は「街路樹」の後,自身初の2枚組アルバム「BIRTH」をリリ−スする。
これは色々な意味での尾崎の新たな「誕生」を意識した作品群だったと思う。
その中でも僕が好きなのは,1枚目のラストの「エタ−ナルハ−ト〜永遠の胸〜」と、2枚目のラストを飾った「BIRTH〜誕生〜」である・・・

〜エピソ−ド4〜

・・・特に「誕生」の方は,尾崎の今までの様々な葛藤が真っ直ぐにつずられており、等身大の、人間・尾崎豊がしっかり見える作品になっている・・・
作品に呼応するように,ツア−「BIRTH」スタ−ト。
この時のライブ映像は,ビデオに収められ発売されたのだが(勿論僕も持っている)、今でも印象に残っている場面がある。
それは「I LOVE YOU」をすごく楽しそうに笑顔で唄う尾崎の姿だった。
全体的に笑顔が多かったステ−ジではあったと思うのだが,あんな「I LOVE YOU」を聴いたのは始めてだった。
今までと何かが違う尾崎に触れ,「新しい何かが始まる・・・」と思った瞬間であった。
そして尾崎はアンコ−ル曲を唄い終え,ステ−ジを去る時、「また次のツア−でお会いしましょう」と言い、手を振り、背を向けて軽やかに歩いていった。
そして彼は,その約束を果たす事なく、僕達の前から永遠に去っていってしまった・・・
遺作となった「放熱の証」リリ−ス。
その帯に,こんな言葉が載っている。
「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」

尾崎はラブソングが唄いたかったという。
最初から彼はラブソングを唄いたかったのだ。
しかし,それを許されぬ状況の中、ピュアすぎるがゆえに、苦悩し、立ち止まる事をよしとしなかった尾崎。
そんな彼が,ようやく辿り着き、これから、という起点になったであろう作品達が、その道を示す第一歩が、「放熱の証」であった。
僕はその彼の最後の作品群となってしまった「放熱の証」を今だにじっくり聴いた事がない。
一,二回は聴いたかもしれないのだが。
何故だかしっかり聴いた事がない。
今なら・・・聴く事が出来るかもしれない・・・

〜エピソ−ド5〜

先日BSで,尾崎が復活後はじめて行った「有明コロシアム」でのライブ映像が放映された。
そこには,若さに輝いているやんちゃな尾崎が映し出されていた。
何かに憑かれたような、演出ではない、見るもの全てが切なくなるくらい凄まじいステ−ジ。
照りつける太陽の下で,力の限り唄い続ける尾崎の姿があった。
その画面を見ながら「俺はとうとう生の尾崎に会う事ができなかった。ライブをこの身に感じる事ができなかった」と、新ためて思い返していた。

尾崎が26歳で亡くなった時,「なんでこんなに早く・・・もっとたくさん尾崎の歌を聴きたかったのに、30代、40代になった時の尾崎の歌を聴きたかったのに」と思ったのと同時に、「ここまでよく生きてこられたものだ・・・」と思ったのも事実だ。
あの「早すぎる伝説」の中の尾崎を見た瞬間から,僕は、「こいつは長く生きられないんじゃないか」「このままの生き方で長く生きられる筈がない」と思わずにはいられなかった。
何故そう思ったのかは不明だが、漠然とそのような言葉が頭の中に浮かんでいた。
もしかしたらもう尾崎は,自分の意志とは関係のないところで、10代のうちに完結してしまっていたのかもしれない。
自分の中で暴れまわる存在の方が大きくなってしまっていたのかもしれない。
そういった存在は誰の中にもあるものなのかもしれないが・・・

「早すぎる伝説」。
僕は思う,あれは「早すぎた伝説」だったのだと・・・
しかし,しかし叶う事なら、尾崎に「生きる伝説」としてこの世にあってほしかった。
それが,やはり痛切に思う事ではあるのだが・・・

〜エピソ−ド6〜

自分が自分である為に,誰よりもピュアであろうとしたが為に、自分の中のどこかが、少しずつ少しずつ崩れていってしまったのかもしれない尾崎。
そしてそれは,修復不可能な状態にまでなっていたのかもしれない・・・
尾崎が笑顔で語りかけていた「I LOVE YOU」。
僕もその時から,笑顔でこの曲を唄うようになっていた。
同じ歌にも様々な顔があっていい筈であるし,歌い手の心の在りようでいくようにも変化しうるものの筈である。
それを,自分がわかっていると思っていた事を、僕は尾崎に気ずかされた・・・
僕は全然わかっていなかったのだ。
「僕はいつも同じように唄っていた」
その事は,僕に少なからずカルチャ−ショックを与えた。
そして「唄う」という事に対して,僕は少し自由になった気がした。
あの笑顔の「I LOVE YOU」は,
僕のなかの何かを確実に目覚めさせてくれた・・・

「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」

尾崎の歌で,僕の中の何かが変わった。
尾崎の存在が,僕に、自分として生きる事の大切さ・難しさを教えてくれた。
「僕が僕であるために」
その為に,僕は僕として正しく生きていかなければ・・・

一つだけいえる事は,これからも尾崎の歌を唄い続けて行くという事。
尾崎の事は,いつもここ(ハ−ト)にあるという事・・・
そして,かたわらの名もなき花にも足を止める自分であり続けたいという事・・・

「早すぎた伝説」
この伝説はいつまでも風化する事はない。
この伝説は,決して早すぎたわけではない筈だから・・・

 

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