裸足のシンデレラ |
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「あれ,裸足にしたんだ」 二週間振りのスタジオで,僕は、ダンド−役のKさんにそう声を掛けていた。 この春の新番組「DAN DOH!!」のAR(アフレコ)も順調に進み始めていた頃だった。 Kさんとは,この現場が初めてであり、聞いてみると、声優の仕事を始めてまだ間もなく、こういった良く喋る役、主役というのも初めてだという事であった。 その他にも二人同じような子がいて,全体を見渡しても僕が最年長という非常に若い現場となっていた。 そして,アイドルのHさん。 ただ彼女はスケジュ−ルの都合で殆ど別録となるようで,この日も姿は見かけなかった・・・ 第一話のARの日。 新人が多いせいか,現場はある種の緊張感に包まれていた。 初めて会う子達が次々に僕に挨拶をしてくる。 僕にとっては殆どが初対面の子達だった。 まず,監督をはじめスタッフから、この作品についての話しがあり、原作者であるB先生からは「皆さんが見て感じたままを自由にやっていただければと思っています」といった言葉を贈られた。 このB先生からの言葉に,声優陣は皆、安堵していたようだ。 僕も自分がこれから一緒に生きていく新庄が,原作とこの本編では、見た目も醸し出す雰囲気も少々違っていたので、逡巡しているところがあったのだが「マイク前で自分が感じた新庄をそのまま出せばいいんだ」と思い定めると、心が穏やかになっていった。 特に新人達にとっては力強い一言となったであろう。 最後に音響監督が紹介され,そのまま本直しが始まった。 そして「じゃあ行きましょうか」「お願いします!」と,彼女等にとって緊張の初テストがスタ−トしようとしていた・・・ 本来ならこのあとリハ−サル(ビデオを一度見る)があるのだが「DAN DOH!!」では事前に各自にビデオが渡されているので、即テストとなるのだ。 昔は,アニメはみな当日リハが当たり前だったのが、今は事前にビデオを渡す現場が増えているようだ。 Kさんがどれ程やれるのか全く分からなかった僕は「出来なくても根気良くついていってあげよう」という位の心持でいたように思う。 何故なら,勿論、ダンド−が主役だという事もあるが、このキャラクタ−がどれだけ生き生きと輝けるかが、羽ばたけるかが、この番組の成否のカギを握っていたからだ。 ダンド−はそれ程のキャラクタ−だと僕は認識していた。 それにプラスして,熊本弁を喋るという事。 ただでさえ大変な役なのに,そのような枷の中で、果たして躊躇のないフルスイングが出来るのか否か。 ちなみに彼女は,東京生まれの東京っ子だった(これは後で聞いたのだが)。 やがてテストのランプが灯り,マイクの前に立ったKさんが喋り始める。 「何だ・・・」 僕は,自分の知らない内に付いてしまった心の錆びが、強烈な一撃を浴びて剥がれ落ちていくような、そんな感覚に襲われていた。 彼女はファ−ストショットで,僕等(これは断言できる)の度肝を抜いていたのだ。 色々な細かい要素,細かい修正点は抜きにして,彼女は既に「ダンド−」そのものだった。 それもごく自然に当たり前に「ダンド−」だったのだ。 その一体となった存在感は圧倒的で,僕は自分の了見の狭さを恥じ、同時に、この番組に携わる事が出来た事と、真っ直ぐな、真っ白なKさんとの遭遇に感謝していた。 そうなのだ,そんなに真っ直ぐに役を生きられる人間は少ない。 同じく,弘平役の、全く初めてだというIさんも、おねえちゃん役のYさんも、凄くストレ−トだったのだ。 (この二人は九州出身、熊本と鹿児島で、Kさんの良き方言指導の先生でもある) オンエア−で初めて耳にしたHさんも。 Kさんを中心として,皆がとにかくピュアなのだ。 これは非常に珍しい事ではないだろうか。 特に子供役を演じる事の多い女性にとって,その雰囲気を掴む事が出来、無理なくストレ−トに出せる人間は、そう多くはないだろうと思われる。 (ただ,誤解しないでほしいのだが、そこに優劣が付くわけではない。 有名・無名,仕事をしているか・いないかに関わらず、その為に生まれてきたような人間というのは、確かにいるのだ、どんな世界にも) それは,その人の資質にもよるだろうが、無意識の内に「作る」という行為が働くからだろう。 「声」を作る,というか「音」の部分で何とかしようとするのだ。 それは他の場合でも当てはまり,例えば男の場合でも、おじいさん役を振られたり、小学生役を振られたりした時に。 ただ,ダブリで何役も振られている場合等はこれに当てはまらない。 何故なら,それは「作る」という事を考えない限りクリア−出来ない問題となってくるからだ。 しかし,一役ならば。 その役を「演じる」のではなく「生きる」 言葉にするのは簡単だが,その間には無限ともいえる深遠が存在する。 しかし,それを理屈ではなく、元々、心に宿している人間がいる。 持っていたそれを,いつのまにか失くしてしまった人間もいる。 逆に,幾つになってもそれを失わない人間もいる・・・ 僕達は色々な制約の中で仕事をしている。 「足音をたてない」「台本の捲りの音を出さない」等。 若き日の自分を憶いだしてしまったのだが,Kさんはとにかく良く動く。 足をバタつかせる・ダンド−と一緒にスイングをする・腕を振り回す・などなど。 最近は少なくなってきたのだが,最初の内は、足音を注意されたり、捲りの音をミキサ−の子からよく注意されていたのだ(ミキサ−の彼は言い方が凄く優しく、分かりやすいので好感が持て、僕はとても信頼している) 僕もそれを含め,マイクの指向性や距離の取り方、入り方など、アドバイス出来る事はしていたのだが、足音の問題が顕著になった時「靴を脱ぐ子もいるよ」という風にKさんに話していたのだ。 その話をした翌週(僕は出番がなかったのだが)、どうやらその週から、Kさんは「裸足」になったようだった。 「裸足の方がダンド−っぽくありません?」 性格もとても素直な彼女は,まっすぐに僕を見つめ、そう言って微笑んでいた。 ちなみに,収録前、Kさんは、いつも動きやすい格好に着替え本番に臨んでいる。 「ダンド−が好きで好きで堪らないんです」という波動を,身体全体から漂わせている彼女。 それは,現場にいる人間全てが感じている事だ。 僕は,新庄の言葉に自分をダブらせて、Kさんに、Iさんに、Yさんに、Hさんに、こうエ−ルを贈りたい。 「これからも色々な困難が待ち受けているかもしれないが,真っ直ぐな瞳で、それらを乗り越えていって欲しい。 決して結果を恐れてはいけない。 君達にはきっとそれが出来る筈だ。 迷った時には空を見なさい。 空の広さを感じなさい。 深呼吸をして目を閉じれば,自ずと心の目が開かれるだろう。 そして自分の役を愛しなさい。 好きで好きで堪らないという気持ちが,一番大切なのだから。 そんな君達と歩いていけるのが,成長を共に感じていけるだろう事が、私はとても楽しみだ。 頑張れ!DAN DOHの子供達!!」 〜今日も「緊張」と「集中」が融合する時間が訪れる。 あの何とも言えない感覚の波に乗りたくて,僕は今日もマイクの前に立つ。 一瞬が永遠へと変わるかのような,まるで時が歩みを止めてしまったかのような、透明で大らかな流れの中に抱かれて、「セリフ」は「言の葉」へと昇華し、心の内側を透かし見せてくれるのだ〜 恐れる心に魂は宿らず。 しかし,恐れる心、怖がるなかれ・・・ |
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