「曙光、フラッグシップを照らさん」〜声優(夢)を目指す君達へ〜 |
『・・・雲を見ていた。 吊革に掴まりながら,身を乗り出すようにして、車窓をゆっくりと流れていく、見事な雲の群舞を食い入るように 見つめていた。 今日,今この瞬間にしか体験出来ない、二度と見ることなど叶わないであろう圧倒的な自然の織り成す風景。 一瞬たりとも同じ顔を見せぬその連なりに,僕は畏敬の念と共に、人の心の風景を重ね併せていた。 人の心にも四季はあり,光も闇もあれば、温度差もある。 自分でコントロ−ル出来る時もあれば,御し得ぬ時もある。 ただ共通して言えるのは,決して同じところに踏み止まっていないという事だろうか。 そう,人の心は絶えず移ろっていくものなのだ。 逆に「どうして」と思う程,何年も何十年も、同じ「思い」に捉われていたりもする。 そして同じ事を繰り返し思い出し「喜怒哀楽」を,これもまた同じように繰り返したりもする。 ある場面が何度も何度も鮮明にリフレインされたりもするのだ,自分の意思に関係なく。 だから人を,一つの言葉で括る事など、現わす事など、到底無理な話なのだ。 例え,百の言葉であっても。 人は絶えず「混沌」を抱えて生きている。 いや「混沌」の中で生きているというべきか。 「心」とは一体何なのか。 「人」とはどのようにして成り立っているのか。 瞳に映るもの全てがホントウなのだろうか。 琴線に触れるもの全てがホントウなのだろうか。 手に触れるもの,頬に感じた風、全てがホントウなのだろうか。 ホントウなのだろうか。 人は,ただ、人であるべきで。 ただ,人である筈で。 それならば。 僕は,誰でもない、ただ、中原茂である筈なのだ。 そういった,オンリ−ワンが集まっているのが、この世界である筈なのだ・・・』 直筆メッセ−ジ「僕ノ前ニ道ハナク」は,僕だけにしか当て嵌まらない。 いつも,綴った「直筆メッセ−ジ」について語ってきた事はなかった。 それは,それぞれ、読んだ人が、自分なりの解釈をしてくれればいいと思っていたからだ。 「行間」を埋めるのではなく,糊代を多くとっていると思われる僕の文章には「ファジ−」な色彩が色濃く漂よっている が故、という認識もあるからなのだが。(これについて「そうは思わない」という方もいらっしゃるだろうが) だが「結果」がそうなだけで初めから「意図」していたものではないのだ。 ただ,一貫しているのは「過去・現在・未来」も含めた己の心模様を「吐露」していこうという事だろう。 それも「徹底的」に。 今回何故追記をプラスしようと思ったのかと言うと,自身のキャリアが20数年に及んだという事と、年齢が40台半ばに 差し掛かったという事が挙げられるのかもしれない。 「書くべきだ」と思ってしまったのだ。 そして,これは言わずもがなの事かもしれないのだが「或る部分」を「全て」だと勘違いして欲しくなかったからなのだ。 特に,僕と同じフィ−ルドの「プロ」を目指している人達には。 「安直」に考えて欲しくなかったのだ。 転がりながら,試行錯誤を繰り返しながらの、一瞬垣間見えた「心の断片」の不安定な揺らぎは、僕が今迄 様々な思いを抱きながらこの世界を歩んできたからこそ生まれたものだとも言えるからだ。 「技術は後からついてくる」 これは若い頃教えられた強い言葉で,今でも色褪せず僕という人間の真ん中で生きている言葉だ。 そしてそれがスム−ズに移行していくのならば,きっと誰も苦労はしないのであろう。 だがやはり「今」ではなく「先」を見据えた場合,「芯」となる部分がしっかりしていなければ、必ず「痛い目」に遭う事になるのだ。 それを凌駕する天稟(てんぴん)に恵まれていれば話は別だが。 しかし,俗にいう「天才」など否(いや)しないのだ。(天才肌は確かにいると思われるが) 才能は大切であるが,99%は「努力」により達成されるものであると自分は信じている。 僕は,何も出来ない内に「基礎」が「基盤」がしっかり整わない内に「現場」に立つ事になった。 ただただガムシャラだった。 「現場」で必ず吸収していかなければ,僕に「明日」はなく、生き残っていく事など不可能だったのだから。 特に「主役」でデビュ−してしまった自分にとって。 当時はオン・エア−物しかなく(ビデオデッキもまだ普及途上でOVAなどは稀であった),今とは違いシンプルだった分、 自分という存在に向けられる視線は鋭いものだったのだ。 そんな中,幸運にも、大きな流れに呑み込まれる事もなく、泳ぎ続ける事が出来た。 何度も溺れ掛けながら,その度に何かにしがみ付きながら、懸命に「生きて」きたのだ。 だから・・・ 出来れば,僕と同じ様な轍は踏まないで欲しいのだ。 (キチンとした「準備」は絶対必要なのだ) 僕がこの世界にデビュ−出来た事がラッキ−だったように,ここまで生き残ってこられた事も、ラッキ−であったのだから。 「なる」事が終着点なのか「否」か。 「なる」事が終着点ならば,別に何の問題もないだろう。 しかし,その先も続けて一生の仕事にしようと思っているのならば「楽」な事ではないと肝に銘じておいて欲しい。 何事にも共通して言えるのは,続けていく事は難しいという事なのだ。 その世界の「プロフェッショナル」になるという事には,その仕事で「飯(めし)」を食っていくという事には、相当な「覚悟」 が必要不可欠な要素となってくるのだ。 だから僕のような「いい加減」な人間は苦しむ事になる。 そう,僕のような存在がここまで続けてこられた事は、ある意味「奇跡」なのだ。 自分は「生かされている」と言い換えた方がいいのかもしれない。 ただその中で「継続は力なり」という言葉の持つ力を,僕は今、身を持って体験している。 そのお陰で,今僕はまだこの世界に存在していられるのだ。 しかし,僕のような例は本当に「稀」だ。 普通はこのようには生きてこられない筈だし,生きてきてはいけなかったかもしれないのだ。 だから僕は,全て含めて自分の事を「アウトサイダ−」だと思い生きてきたという経緯がある。 もしかしたら「今」はこんな事など気にせずとも生きていけるのかもしれない。 僕の考えは「古い」のかもしれない。 「古い」かもしれないのだが,考えてしまうのだ。 考えた末に辿り着いた見地は「古いものの良きところは残しつつ、新しい感覚も柔軟に受け容れる」心の広さだろうか。 それを他の多くの方々にも心に留めておいて欲しいのだ・・・ 先程,冒頭で少し触れた「ファジ−」な感覚は,僕達の仕事には「必要」でもあり,また「不必要」な感覚でもある。 使い方を間違える事は許されない感覚なのだ。 ハッキリと方向性を定めなければいけない時と「うやむや」とは違う微妙な「何か」を滲み出さなければならない時があり、 こうすればいいという方法はなく,己の心の内側に全て委ねるという事になるからだ。 「委ねる」という事は,悪い言葉で言うと「投げ出す」という事だ。 もう一つ言ってしまうと「考えなくなる」という事で,これ程「いい加減」な奴はいないだろうという事になりかねない。 しかし。 僕はそういう人間になりたいと思っている。 何もせず,ただ喋っているだけの人間に。 ただ喋っているだけなのに,そこには確かなその人の息遣いがあり。 その人の生きている証があり,その人の生活がちゃんと垣間見えるのだ。 そんな事ばかり考えているものだから,僕は何の準備もないままマイク前に立つという行為をする時もある。 しかし殆どの場合,笑ってしまうくらい「中身」が伴っていない事が多いのだ。 そんな時は遅ればせながら「本番」で修正する事を余儀なくされるのだが。 そう,「臆病」な僕は、まだまだ自分の思い描く「理想」とは程遠いところにいるので「無心」には中々なれず、 様々な思いを抱いてしまうのだ。 本当は,僕がこの自分のHPで吐露し続けてきた「思い」なども、書くべき事ではなかったのかもしれない。 その言葉に「思い」がこもってるかどうか「命」が宿っているかどうかを決めるのは,それを「聞いた」或いは「読んだ」 不特定多数の人達であり、自分がいくら「あの時はこういった気持ちで思いを精一杯込めました」「こんなに頑張ったのに 何で伝わらないんだ」と勝手に喚き立ててみたところで「伝わらなかった」のだから何も言えない筈なのだ。 書いてあった事と違うではないかとお叱りを受けそうだが「仕事」という形で,枝・葉が分かれていても、大元の部分は 一緒であり、それは「役者」「俳優」という呼び名で統括される。 元々「声」の仕事というものが「役者」達のアルバイトのようなものとして始まったという経緯を考えれば「成る程」と 納得していただけるのではないだろうか。 だから「役者」と「声優」はイコ−ルで括られているものでもあったのだ。 ただ昔は(今でもあるのだが),アフレコなどをやる「役者」と映像・舞台オンリ−でやっている「役者」の間には、 あからさまな「溝」があったようなのだ。 言うなれば「声優」は一段低く見られていたのである。 時代は移り,今ではそういった人達も「声」の仕事に進んで入ってきていたりしている。 特にナレ−ションの分野に於いてはその傾向は顕著で,アフレコ現場に於いてはもう随分昔から、大きな作品・話題作 に関しては、その時に「旬」の俳優なりが「声優にチャレンジ」と銘打ち、僕も一緒に何度かそういった現場を踏んだものだ。 もう20年程前の現場であろうか,ある大物監督の撮った話題作(洋画)のアフレコがあり、その時の音響監督は、 今はもう亡くなられた大ベテランの大御所の方だったのだが、その方がたまたま一緒になった帰りの地下鉄の中で 僕に漏らした「スイマセンでしたね,(あのキャスティングは)僕にはどうしようもなかったんですよ」という一言は、まだ若く、 自分の役を「生きよう」とする事で精一杯だった僕の心にも、何かやりきれない「波紋」のようなものを残したものだ。 合わせる事もロクに出来ない人間に,人を生きる事など到底無理な話なのだ。 若かった僕は,もしかしたら今よりも憤っていたのかもしれない。 ディレクタ−にしても,現場で初めて、その人がマイク前で喋るのを聞く事になる場合が殆どだったのだから。 それがそう酷くない時はまだいいのだが,全く駄目な人もいる訳で、そういった場合は、少しでも形を整える事に普請する 以外方法は残されていなかったりするのだ。 だから多分,いつも非常に悔しい思いをしているのは現場の人間、特にディレクタ−ではないのかと思うのだ。 これを「ビジネス」と割り切れるのであれば非常に楽なのだろうが。 ただ昨今変わってきたのは,巧く役とリンク出来る人が以前に比べ多くなってきたような気がするのだ。 今の若い子達は僕が若い時に比べると遙かに「巧い」 物怖じする事もなく「緊張しています」と言いながらも,喋れないという事は殆ど皆無なのだ。 「芝居」も間違ってはいない(勿論,正解などないという真理の部分は横に置いての話だが) 「セリフ」もしっかりと言えている。 問題は何もない。 「拘る」ディレクタ−でなければ,OKが繰り返され、滞りなくオンエア−され続ける。 自分の場合だけに限って言えば,僕は「いい」か「悪い」かのどちらかであった。 これは養成所にいる時には講師の方に最もよく言われていた事なのだが「どっちつかずが一番駄目だ。 良くも悪くもないんだけどというのが一番最悪だ。失敗を恐れるな。前に出る事が大事な事で、受身ではなく、 いつも責めの姿勢を忘れるな」と。 しかし何時も僕達が言われていたのは「四角四面すぎる!皆同じじゃないか。お前ら若いんだろ!もっとやってみろよ。 発想を転換してみろ!」という苦言ばかりであったのだ。 そして今では,僕が一丁前に、あの頃苦言を呈されていた講師の方と同じ思いの中にいたりする。 では,どのような時にその思いの中に立たされるのか。 それは夢追い人の若者達を前にした時だろうか。 ここ数年,年に一度位の割合で、母校である専門学校の「特別講師」として招かれたりしているのだ。 他の方達は,大ベテランのそうそうたる面々が名を連ねており、僕が「特別講師」などおこがましい限りなのだが、 担当の方から「是非」とお願いされた手前,引き受けさせていただいているのだ。 ただ,僕には教えられる事など何もないので、最初から最後まで「質疑応答」という形を取らせていただいている。 「内容はどのようなものでもOKです」と言われていたので。 言っておくが僕は「楽」をしようとした訳ではない。 以前専門学校でレッスンを受けていた時僕達も,突然ある課題を突き付けられ、考える暇も与えられず、一人づつ 前に出された事があった。 そこで学んだ事,思い知らされた事は、常に「能動的」にならなければいけないという事だった。 「えっ・・・」「どうしよう」と逡巡するのではなく,やろうとする気迫が、前に出ようとする気持ちが大切なのだと。 そしてそれは,後で説明されて「そういう事だったんだ」と理解するようでは「駄目」なのだ。 全員がプロになれるわけではないし,一人もなれないかもしれない。 そんな「安定」とは程遠い真逆の道を選んだのだから,本当はもっとそれぞれが厳しくなっていい筈なのだ。 しかし。 通っているのは「学校」なので,それ以上の事は望めないと思われる。 「先生」と「生徒」の関係である限り,それを崩さない限り、「先」は望めないと言っていいのかもしれない。 「受ける側」「受けられる側」ともに,認識を新たにするべきであろう。 これが各事務所の養成機関だと,もう少し趣を異にするのかもしれないのだが。 だから僕は最初から「質疑応答」を持ってきた。 最初は説明などせずに始め,質問がある一定の時間なかったら即座に帰ろうと決めていた。 勿論,そんな事は担当のH先生に話してはいなかったのだが。 結論から言うと,結局僕は退出せず、何で初めから「質疑応答」なのかを説明し、時に或る一つの事柄から 話題を膨らませ、ディスカッションを展開していった。 全ての講義が終わり控え室に戻った時「本当は,皆からの質問がこなかった最初の時点で帰ろうと思ったんですよ」 と僕はH先生に語っていた。 あの時,何故退出しなかったのかは未だに分からない。 どのような心境の変化があったのだろう。 ただ,あの二時限の講義(約3時間)で僕は自分を恥じていた。 それはあの子達の事を少なくとも軽んじていたからだろう。 しかし思った以上に,皆はこの「声優」という仕事の事、「芝居」の事、日々を生きるという事を真剣に考えていたのだ。 それが言葉の端々から伝わってきたからなのだ。 「先入観」とは怖いものだ。 見えているものを見えなくしてしまう。 同時に「生きている」うちに身に付いてきたものが,己を助けもすれば、霧の中に迷い込ませたりもする。 初心に帰る為に,僕はフレッシュな感性に触れる事を選び、由としているのかもしれない。 すると,自分自身の「錆」がハッキリと自覚出来るのだ、怖いぐらいに。 年輪を重ねてきた「錆」と,吹き始めた「錆」が。 だが,それをマイナスとは思わない。 その「錆」をどう使ってやろうかと思考を巡らせたりしているのだ。 これからも人生を共に歩んでいく「相棒」のようなものなのだからと。 「若い」という事は,それだけで大いなる力を宿している。 無限のパワ−を秘めているのだ。 どんなアゲインストにも,自分の旗をしっかりと掲げ、真っ正面から挑んでいってほしい。 「全てを吸収してやるんだ」という貪欲さを携えて。 切り捨てる事は何時でも出来るのだから。 折れたら修復すればいい。 やり直す事は決して恥ずかしい事ではないのだ。 泥にまみれる事は「ダサい」事ではない。 何もやらずして「楽」な事ばかりを求めている人間の方が,救いようもないほど「ダサい」のだ。 一人一人が己の旗の下(もと),自分だけの道を進んでいくべきなのだ。 それぞれがそれぞれの「フラッグ・シップ」であるべきなのだ。 君よ,雄々しく羽ばたかん! PS:この文章を全ての「夢追い人」に捧ぐ・・・ 2006/1/9(月)15:46 由比ガ浜「OKASHI 0467」にて |
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