ただ風の中で |
〜再会の夜〜 「そこはあたたかかった」 約3年振りに扉を押した店のカウンタ−にGさんはいた。 「お久しぶりです」 「おお!元気だったか、久しぶりじゃんかよぉ」 いつものように挨拶を交わしながら止まり木に腰掛ける。 綺麗に整えられている店内は,まるでオ−プンしたばかりかと思わせる程だ。 そして清潔感溢れる店の一角には,既にマイクやその他の機材がセットされ、束の間僕は懐かしい風景に包まれ るのを感じていた。 あの「珈琲館」で唄っていた頃からどれだけの月日が流れたのか。(著書「ウインドファ−ムの丘で」内「1979珈琲館DAYs」参照) まだ時間が早いのか,客は僕だけだったので、Gさんとは様々な話をした。 夕食にと注文したハンバ−クを頂きながら,本当に久しぶりにゆっくりと話す時間をもてた。 その内,奥さんやスタッフが現れる頃になると「またな」という仕草を見せ、Gさんは厨房へ。 今宵のライブの主役であるSくんは,サポ−トメンバ−と近くの蕎麦屋で曲順の打ち合わせをしているようだ。 ライブスタ−トの20時が近づくにつれ,続々と人が集まり始め、30分程前には満席になっていた。 勿論ライブハウスではないので,そんなに広くはないのだが、この夜、20数名の人達が彼の唄を聴きに集まって いたのは事実だ。 10分程前にメンバ−と共にSくん登場。 カウンタ−の向こうの鏡に懐かしい顔が映っていた。 全ての顔見知りに挨拶をしながら僕の後ろを通る。 奥の席の一団と談笑した後「お久しぶりです」と,僕の右側から手を差し伸べてきた。 「おお,元気そうだね」 握り返された掌からは,体温だけではない「熱さ」が伝わってきた。 「本当にありがとうございます」 「・・・今日は楽しみにしてるよ」 「ハイ,でも電車の時間があるんですよね」 「うん,最終は23:14分だったかな」 「あっ,じゃあ大丈夫です、いくらなんでもそんなにかかりませんので(笑)ゆっくり聴いていって下さい」 もう一度しっかり握手をした後,Sくんはセッティングに向かった。 先程のGさんの言葉が頭に浮かぶ。 「Sは良くなったよ,この3年位で一番伸びたんじゃないかな」 目の前では,2杯目の陶器に入った焼酎のお湯割りが湯気をあげている。 今宵知り合ったスタッフと二言三言言葉を交わしていた時,Sくんが無造作に唄い始めた。 湯気の向こうに唄う彼が見える。 すぐ吹き飛ばされた湯気を目で追いながら「こんなものかもな」と思っていた。 そう,それはただの湯気だったのだ。 吹けば飛ぶようなものだったのだ。 ただ,その時はそんな風に思えなかっただけなのだ・・・ 〜トライアングル〜 ちょうど2000年になった1月1日から,インタ−ネットラジオ「ただ風の中で」はスタ−トした。 その前年の暮れ「エッセンス」の当初の管理人であったBくんからの提案だったのだが「せっかくだから年始 から始めよう」という話で盛り上がっていたのだ。 パ−ソナリティを務めるのは,僕と、シンガ−ソングライタ−のSくん。 Sくんとは以前一度だけある飲み屋でニアミスをしていただけで,キチンと話すのはその夜が初めてだった。 ただ,僕はGさんがその頃開いていた「レノバンス」という洋風居酒屋2Fにある、私設バ−でSくんの事は聞いていて、 自分でだしたというミニアルバムも聴かせてもらっていたのだ。 「今こいつ頑張ってるんだ」という言葉と共に。 確かあの夜僕は,殆ど初対面に近い相手と毎週録るという事に色よい返事はしていなかった筈だ。 「俺はゲストで時々お邪魔するよ」と。 しかし,Bくんの「Sと組んでやってみて下さいよ、絶対新しい面白いものが出来ると思うんです!」 という熱さに半ば押し切られた格好で、始めはしぶしぶ承諾していたようなものだったのだ。 それから約(およそ)1年の間「エッセンス」上にはネットラジオのコンテンツが存在する事となる。 当初は「お題」を決めていたのだが,その内に「徒然なるままにいこう」という話になり、出張録音もするように なっていった。 「出張」といっても何の事はない,ノ−トパソコンを持って飲食店(殆ど飲み屋)に行き、そこで店の紹介をしながら 酔っ払って喋るというものだった。 その頃Bくんは,パソコン教室を経営しており、小田原をより良く知ってもらおうというサイトも運営しており、 様々なお店に「ウェブに載せませんか?」といった営業も行っていたのだ。 それと抱き合わせのような格好で「ネットラジオに登場しませんか?」と。(勿論、無料で) 僕等はいつも,店のテ−ブルで、カウンタ−で、PCから引かれたマイクを前に、いい気分の海に浸りながら 好き勝手な事を喋っていた。(店の紹介はしっかりしていた、筈だと思う・・・) エンディングには彼の唄を流したりしながら。 「エッセンス」の記念すべき第一回のオフ会で,二人に協力してもらって公開録音をした事もあった。 そんな中,以前から「創りましょう」と進められていた、ネットラジオのテ−マ曲が完成した。 「ただ風の中で」 タイトルと同じになったのは,僕にはその時、それ以上の言葉を見つける事が出来なかったからだ。 これ以上の言葉を。 僕にとってもSくんにとっても,共同作業というのは初めての経験だった。 彼の弾き語りがウェブ上から流れてきた時,とても満ち足りた気分になったのを憶えている。 「さて,来週はどうしましょうか?」 そんな風に,録り終えた後グラスを傾けながら語っていたものだ。 この風景も,僕・Sくん・Bくんというトライアングルも、まだまだ続いていくものだと、何の根拠もなく信じ込んでいた。 高校生活が終わる筈はないと思っていた,あの頃と同じように。 「縁」というものはそんなに簡単に切れるものではないと思っていたのだ・・・ 〜雨音〜 発端は何だったのだろう。 Bくんがパソコン教室を畳み,以前から聞かされていた、誰もが気軽に集えるような「インタ−ネットカフェ構想」 実現に着手した時、誰もが一抹の不安を抱いていた。 「何故そんなに急ぐのか」と。 今迄,多くの店作りを見てきた筈なのに、経営の難しさを垣間見てきた筈なのに。 理由は最後まで定かではなかったのだが,確かに彼は急いでいたのだ。 場所が決まると「仲間達」が店作りを手伝う為に集まってきた。 僕が,Gさんを中心とした小田原の様々な人間と知り合って特に魅かれたのは「人の繋がり」の濃さであった。 飲食業は勿論,大工・左官・水道・電気・清掃etc・・・ それぞれのエキスパ−トが,店舗造りを強力にサポ−トしてくれるのだ。 当時僕が良く足を運んでいた,Uくんのバ−「メキシコ」しかり、現在「えん」のマスタ−である、Kくんが開いて いたバ−「チキンジョ−ジ」しかり。 僕は彼等の店のカウンタ−で「Bくんの店が上手くいけばいいね」と事あるごとに話していたのだ。 Bくんに僕を紹介してくれたGさんとも。 プレオ−プンの日。 僕は確か仕事で行けなかったと思うのだが,後日、Kくんから「まずかったみたいですね」という話を聞いていた。 どうやらオ−プンを急いだ為,対応が万全ではなく中途半端だったようなのだ。 店のお披露目には僕も何度か招かれた事があるのだが,それは不特定多数のお客を迎える前に、お世話になっている 方や親しい人間を呼ぶという、「形」は違うが完璧な実践モ−ドでなければいけないもの、成り立たないものなのだ。 スタ−トが肝心なのだ。 以降僕は少しでも彼の店の売り上げに貢献出来ればと、時間の許す限り、昼となく夜となく足を運んだ。 しかし「狭いながらも楽しい我が家」となる筈であったろう彼の店には,客が根付く事はなかった。 多分,Bくんは、UくんやKくんの店が、プレオ−プン以降暫くの間大勢の客で賑わっていたように、自分の店も そうなるのだと信じて疑っていなかったのかもしれない。 何時も沢山の笑い声に包まれている空間が、オ−プンすればそこに現出するものだと、夢想していたのかもしれない。 多くの友人・知人達が毎晩のように集まって来てくれるものだと。 結局目玉となる筈であったPCは一台も入っておらず,当初とは全く趣きを異にした船出となっていたのだ。 とある雨の日。 そぼ降る雨音の中,入り口を見詰めながら彼がポツリと言った「来ませんね」という言葉に「まぁ焦らない事だよ」としか 返す事が出来なかったあの日。 冷めたコ−ヒ−を前に無言の時が流れていた。 それが,僕が見た彼の店の最後の風景となった。 オ−プンからまだ何ヶ月も経っていないある日。 Bくんの店から「クロ−ズ」の札が外される日が少なくなっていった。 それから暫くして,なし崩し的に店は閉鎖となり、幾つかの噂が流れた後、解決していない事柄を残したまま、 Bくんは皆の前から姿を消した。 「中原さんにも御迷惑をお掛けして本当に申し訳ありません。ちゃんとまた仕事を始めたらこちらから必ず御連絡 させていただきますので」 このような内容のメ−ルを最後に,彼からの音信は途絶えた。 「まさか」という思いは,泡盛と一緒に飲み干すしかなく、その思いがそう遠くない日に再び訪れるとは、その時は 露程も思っていなかったのだ・・・ 〜春夏秋冬〜 あれは2000年の秋頃だっただろうか。 Sくんが急遽CDアルバムを出す事になったのだ。(あるメジャ−傘下のレ−ベルから) どうやら知人からの紹介のようで,来年早々の発売に向けて、急ピッチでの作業となった。 「ただ風の中で」も収録曲の一曲となり,アルバムの表&裏表紙を担当してくれたのは「エッセンス」オフ会で、 マンガリポ−トを描いてくれたHさん(イラストレ−タ−)だった。 そのマンガリポ−トに描(えが)かれているSくんの雰囲気が秀逸で,本人たっての依頼だったのだが、 彼女も喜んで引き受けくれて,素晴らしいイラストを提供してくれた。 僕は僕で彼から「扉に載せる紹介文を書いていただきたいんですけど」と頼まれていたのだ。 来年は,CD発売を受けて、彼も精力的にライブを展開しようとの心積もりでいたようだ。 2001年2月,遂に、CDアルバム「僕は僕なりに」発売。 さぁここから。 誰もがそう思っていた,そんな矢先。 「彼の熱が突然冷めた」 そんな風にしか僕には感じられなかったのだが,彼は急に活発な活動をしなくなってしまったのだ。 まるで,CDを出す事が終着点であったかの如く。 当時,Uくんの店やKくんの店でライブを開いた時には、オフ会で知り合っていた僕のファンの子達も遠方から 足を伸ばしてくれていたものだ。 皆,彼のCDデビュ−をとても喜んでくれていたのだ。 全ての詳しい経緯を僕が知っている訳ではないのだが,彼はプライベ−トで起こった一連の出来事により、 じょじょに僕等から遠ざかっていった。 彼は、彼を育んでくれたであろう小田原の街と、仲間たちと疎遠になっていった。 一部の人達を除いては。 その中でもGさんは特別だったと思われる。 そう,Gさんはいつだって皆からは特別な存在だったのだから。 暫くして鴨宮の居酒屋Tで時々ライブをやっていると聞いたのだが,そこに足を向けようという気は全くおきなかった。 もし彼が「プロ」を目指しているのでなければそんな風には思わなかったのかもしれない。 だからどうしても納得が出来なかったのだ。 「ここにも顔を出せばいいのに」 Kくんの店のカウンタ−でつい愚痴っぽくなりながら「プライベ−トとこっちの問題は別だろう」などと憤っていた事は確かだ。 まして,もしかしたら人生を左右するかもしれない重大な局面を迎えていたのかもしれないのにだ。 その内,彼の事は自然に忘却していったようだ。 街の飲み屋は,酒税法改正の煽りを受け、Uくんのバ−「メキシコ」を始め数店舗がクロ−ズの憂き目にあった。 僕は相変わらず定期的に小田原を訪れ,静かにカウンタ−で「泡盛」のグラスを傾けていた。 Gさんは,ある意味、小田原を牽引していたであろう洋風居酒屋「竜馬亭」を含めた複数店舗を閉め、鴨宮に 新店舗をオ−プン。 Kくんは,これもやはり以前からの彼の構想であった、宮崎地鶏を主力に据えた、今の店舗規模よりも数倍 広い店をオ−プンした。 両店とも,料理・酒・雰囲気など申し分なく、この御時世の荒波の中、しっかりとした営業を続けている。 季節は誰の上にも均等に巡っていった。 春から夏,夏から秋、秋から冬、冬から春へと。 そして,彼が僕の前から姿を消して6年近くの月日が流れようとしていた・・・ 〜月光の下〜 「久しぶりに琴線に触れたライブだった」 彼とサポ−トメンバ−とお客さんが一つになっていた。 Sくん一人でのステ−ジしか僕は経験がなかったのだが,リ−ドギタ−&パ−カッション&バンジョ−の共演は とても楽しく充分な聴き応えがあった。 何にも増して,彼のギタ−とボ−カルが以前より確実に良くなっていたのだ。 特に唄は,上辺だけをなぞっていてやや力任せだった感のあるあの頃よりも「芯」が出来たと言ったらいいのだろうか。 細かなミスやズレなど,そんなものはたいした事じゃないんだと感じさせる、パワフルで暖かなパフォ−マンスだった。 アンコ−ルの大合唱の中,Sくん達が再び登場。 嬉しい驚きはその直後に待っていた。 「え〜、僕は他人(ヒト)と曲をつくった事はないんですけど、多分これからも。でも唯一そうして作った曲があります。 今晩はその方が来ているので、これをやらない分けにはいかないかなと・・・」 ちゃんと憶えてるかなと言いながら,演奏スタ−ト。 「ただ風の中で」 イントロを聴いた瞬間,僕は身体の中を何か「熱いもの」が駆け巡るのを感じていた。 「この曲はやっぱりこの位のアップテンポがいいな」 その昔,彼とそんな話をしていた夜を憶い出していた。 Gさんの満足そうな笑顔が見える。 僕はその時思っていた。 またここから,様々な人との触れ合いが始まるのだろうと。 アンコ−ル曲が続く中,陶器のグラスを持ち上げ、口に運ぶ。 「湯気」は既に消えていた。 幾度同じ思いを繰り返そうとも「やはり人が好きなのだろう」そう思った。 彼の唄と人々の熱気が溢れた店内には,とても素敵な時間が流れていた。 「珈琲をいただけますか」 僕はスタッフに,今宵最後のオ−ダ−を掛けていた・・・ 「人は些細な事で擦れ違い,他愛ない事で誤解を解いたりもする。 自分の正義が必ずしも他の人の正義と同じとは限らないのだ」 久しぶりの再会を果たしたあの夜から暫くした後(のち),僕はSくんを連れ、Kくんの店「えん」を訪れた。 僕としては二人に昔の関係に戻って欲しいという思いからの行動だったのだが,思惑は見事に外れる結果 となってしまった。 僕は年下であるSくんが,兄貴分でもあったかのようなKくんに、短くてもいいから「不義理」をしてしまった事を 謝る言葉を発して欲しかったのだ。 Kくんには「時間が出来たら俺達のテ−ブルにも来てよ」と言ってあったのだが,オ−ダ−を受けたり、運んできたり する事以外、彼が留まる事はなかった。 二人は何度か店内でニアミスはしていたのだが,結局最後までちゃんとした言葉を交わす事はなかったようだ。 いつもは見送りに出てきてくれるKくんも,この日は忙しくテ−ブルを周り、終始客の注文を聞いていた。 「空いた時間帯もあったんだけどな」 その背を見ながら,スタッフのKsくんに送られ店を出た。 驚いた事に,KsくんはSくんのファンで、彼の歌も唄えますという話だった。 駅までの道すがら,Sくんと話しながら思っていた。 僕には計り知れない何かが,Kくんにも、Sくんにも、もしかしたらあるのかもしれないと。 今夜の行動は彼等の為ではなく,自己満足の為におこした、ただの「余計なお節介」だったのかもしれない。 「時」には,人の心を癒してくれる「何か」もあるのだろうが、人の心を尚更「硬化」させてしまう成分が含まれて いるのも事実のようだ。 そんな事は分っていた筈なのに。 「二人には悪い事をしたかな」 少々苦い思いを抱きながら,次はあのライブの夜のサポ−トメンバ−も交えて飲もうと約束し、Sくんとは駅で別れた。 「いつか・・・」 僕は信じている。 そう,いつか近い将来「わだかまり」が緩やかに溶けて「えん」でテ−ブルを囲み、再びまたあの頃のように、陽気に 酒が酌み交わせるようになれる日が来る筈だと、そんな日がきっと来る筈だと。 冴え冴えとした月光の下で「その日は必ず来る」と呟いていた。 「その時は・・・Bくん、君もね」 誰の上にも時が優しく流れますように。 そう祈らずにはいられない夜だった・・・ 2007/2/16(金)17:49〜3/2(金)16:15 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて |
back | Copyright 1999-2007 Sigeru Nakahara. All rights reserved. |