歌いつづける


「閉店・・・」

エレベ−タ−を降りた俺の目に飛び込んできたのは,空調の風に下半分が破れかけている貼り紙だった。
「13年間ありがとうございました・・・」
筆で丁寧に書かれた文字。
俺はエレベ−タ−を待つのももどかしく階段を駆け下りると,近くのコンビニでセロテ−プを買っていた。
戻り,破れかけていた箇所をセロテ−プでキチンと貼り直す。
流石に4階からの往復はきつく,荒い息を吐きながら、滴る汗を拭いながら、食い入るようにもう一度その文章を読み返していた。
「あの日もこんな暑い日だったな」
そんな事を思いながら,俺はそこに立ち尽くしていた・・・

あれは何年前の事だっただろう。
忘れもしないあの夏。
俺は知り合いを頼り,北海道の帯広を訪れていた。
小さなジャズバ−で,二日間唄わせてもらう事になっていたのだ。
そこでは様々なジャンルのライヴが行われており,俺の事を気遣ってくれていた知り合いが「場」を提供してくれたのだ。
「これで終わりにしよう」
北海道へ渡る機上で俺はそう思っていた。
眼下には新緑に萌える広大な十勝平野。
そんな中,俺だけがモノクロ−ムの世界の只中にいた。
若い頃はこの今の季節のように燃えていた筈なのだ。
夢は夢で終わらず,必ず実現するものと信じて疑っていなかった筈なのだ。
それが・・・
いつからだろう。
ただ唄うようになっていったのは。
世界から,自分の心から「色」が薄れていったのは。
気が付けば,もうすぐ四十歳に手の届く年齢になっていた。
「おぅ,久しぶり!」
空港まであいつが車で迎えにきてくれていた。
「悪いな,世話かけちまって」
「何言ってんだ,何なら色々紹介してやるぞぉ、北海道でよければな」
そう言って笑うあいつの横顔越しに,どこまでも青い空が広がっていた。
「モノクロ−ムの青空か・・・」

「最後にしよう」

今日,何十回と呟いている言葉が、知らず知らず唇から零れ落ちていった・・・

「君が以前自費で出したアルバムを聴かせてもらって,これはと思って楽しみにしてたんだけど、何か別人に
なっちゃったみたいだね」
ライブの後,ジャズバ−のマスタ−から言われた言葉が耳から離れない。
あいつに連れられてきたバ−のカウンタ−で,ようやく俺は「決意」を固めていた。
「あのさぁ,実は俺・・・」
「あっそうだ!悪いんだけどもう一軒付き合ってくれないかな」
「えっ・・・別にかまわないけど」
「そうか,じゃあ行こう。この近くだから」
半ば強引に連れていかれたその店は,オ−ルディ−ズを連日生バンドで聴かせるというスタイルのライブハウスで、
俺達が行った時はちょうどステ−ジでライブが始まる直前だった。
ドラムスのカウントが響き,ライブスタ−ト。
暫くすると,お客さん達がステ−ジ前のスペ−スに殺到し、ツイストを踊り始める。
その光景越しに見えるボ−カルの女性とバンドの息の合ったプレイ。
みんな「笑顔」だった。

「あっ・・・」

その時だった。
俺の中で何か音がした。

「思いは伝わる!」「俺の歌は必ず人の心に届く!」

と信じて疑わず,愚直にストリ−トで、ライブハウスで唄い続けていた自分の姿が、まるで昨日の事のように、
頭の中で疾走し始める。
音が続けざまに鳴った。
心地良い音楽のシャワ−を浴びながら,俺は理解していた。

この音は,自分の心から錆びが剥がれ落ちていく音なのだと・・・

ステ−ジを終えると,お客さんに挨拶を交わしながら、ボ−カルの女性が俺達の席に来てくれた。
「もう随分久しぶりじゃない」
「悪い悪い,仕事が忙しくってさ」
どうやら,あいつとは古くからの友人のようで、彼女がこの店を開いたのだと言う。
紹介され話を聞いていたのだが,毎晩あのように生バンドで唄っているそうなのだ。
バンドメンバ−はステ−ジを降りると,店の従業員となるのだそうだ。
「毎晩唄われているんですよね。モチベ−ションはどう維持されているんですか?」
「そんなの特にないですよ。だって好きで唄ってるんですから」
そう気さくに喋り,笑う、その人を見ていて、最後の何かが剥がれ落ちていくのを、俺はハッキリと感じていた。
「今日最後のステ−ジも,よろしれば聴いていって下さいね」
じゃあね,とあいつに手を振りながら、その人はドアの向こうに消えていった。

ホテルに帰るタクシ−の中。
「ありがとうな」
「おぅ!・・・」
「・・・明日・・・久しぶりに唄えるような気がするよ・・・」
「まぁあまり気張りすぎず,お前の好きなように唄えよ」
「あぁ」
自分にはいい友がいる。
そう思った。
いつのまにか,世界は色で溢れようとしていた・・・

笑顔で握手を求められた。
「君は中身がコロコロ変わるようだね。良かったよ!」
込められた手と心の暖かさが,今の自分には何物にも変えがたかった。
生まれ変わったような気がしていた。
何故このような単純な事を忘れていたのだろう。
「そうだ原点に戻ろう」
俺は自主制作のCDが初めて売れた路上から再スタ−トを切ろうと決心していた。
あいつに礼を言い,帰路についた。
「結果が出たらあの人に真っ先に報告しよう」
一方的にそう心に誓い,十勝の空気を胸一杯に吸い込んでいた・・・

車に戻り思案していると,つけっ放しのカ−ラジオから聞き覚えのある曲が流れ始めた。
「これは・・・」
俺の歌だった。
最近メジャ−レ−ベルから発売されたアルバムの中の一曲。
そしてやはり聞き覚えのある声がそれに重なる。
「〜中でも私はこの曲が好きなんです。ではお聴き下さい、『歌いつづける』」
あの人だった。
すぐあいつに電話を入れる。
「よぉどうした?スゲェタイミングだなぁ。今お前の歌、地元のコミュニティFMが流してるぞぉ」
「それなんだけど,ここの局の名前と場所分かるかな?」
「あぁそれならお安い御用だよ。局名は・・・」
メモを走らせながら,俺は動悸が激しくなるのを感じていた。
あいつに礼をいい,携帯を切ると、素早く車を発進させる。
番組は生放送。
「今からならまだ間に合う」
信号が赤に変わる。
「落ち着け」
深呼吸をする内に動悸が治まってきた。
クラクションで我に返る。
ゆっくりと車を出す。
あの人に会ったら何と言おう。
俺の事を憶えているだろうか。
しかし,こんな偶然があるのだろうか。
様々な想いが交錯する。
新緑の街を走りながら,気持ちの良い風に吹かれていると、自然に言葉が溢れてきた。

「俺はまだ歌い続けていますよ」

そうだ,そう言おう。
そしてお礼をキチンと言わなければ。
「俺は,あなたに救われたんです」と。
カ−ラジオからは俺の歌が溢れ,十勝の大空に吸い込まれていくようだった。

「歌いつづける」

もう一度その言葉を心に刻みつけ,俺はアクセルを少しだけ踏み込んでいた。
そうしなければ,叫びだしてしまいそうだったのだ。

いつのまにか,俺の前に、一本の道が見えていた。

その道は,どこまでも、どこまでも・・・続いていくようだった・・・



PS:この文章を,13年間続いた「50'S CLUB」をやむなく閉店された、阿部まさよさんに捧げます。



2009/6/5(金)14:47 茅ヶ崎「スタ−バックス」
           &
2009/6/14(日)18:44 自宅にて

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