「折れない心」〜風果つりして尚、光溢れん大地よ〜


穏やかな終焉だった。
「静謐」と言い換えてもいいのかもしれない。
「水滸伝」(19巻)から「楊令伝」(15巻)へと受け継がれて来た物語は,合わせて全34巻という壮大な旅の果てに、1つの帰結を迎えた。
1つのと言ったのは「夢」はまだまだ連綿と「魂」から「魂」へと受け渡されていくのだろうと思わせる終わり方だったからだ。
作家・北方謙三を語る上で特に欠かせないのは「絶妙なタイトル(サブも含め)の命名」「人の顔が見える人物描写」「始まり方と終わり方」の3つだと僕は勝手に思っている。
その中でも僕が「楊令伝」15巻(最終巻)で感じたのは「終わり方の妙」であった。
実は今回の「楊令伝」に関して言えば「どのように幕を引くのだろう」と,ファンとして一抹の不安を抱いていたのだ。
「水滸伝」の終わりに宋江から「替天行道」の旗を託された楊令。
その楊令が突き進む「茨の道」
一人闇の中で,光りを求め続け。
そして・・・
最終巻の「帯」の文を読んだ時点で読むのが怖くなったのは事実だ。
しかし楽しみにしていたのも事実で。
結果「楊令」は,武人としては畏怖された存在のまま、戦場で「剣」ではないものに倒れる事になる。
「楊無敗」とうたわれ,味方の裏切りにあい負けぬまま命を落とした、あの伝説の「楊業」のように。
何時の世にも「不世出の・・・」と言われる存在が現れては消えていく。
道半ばで,そこにもう手が届くかという時に朽ちていかなければならぬ「無念さ」とは如何ほどのものであったのだろう。
しかし「夢」は連綿と受け継がれていく。
そう「思い」は全てを超えて「魂」に語られ,刻まれていく・・・

人にはそれぞれに「チャンス」は訪れるものだと思っている。
ただ,それを掴めるか否かは別として。
それに何が「チャンス」であるのかなど,その時には、多分本人には分からないのだろう。
振り帰ってみて「あぁあれがチャンスだったんだ」と分かるくらいで。
あるドラマでこんな遣り取りがあった。
「プロの定義って何だと思われますか?」
「僕は・・・折れない心を持っている人間だと思いますね。どんな時でも、絶対諦めないというか。そんな心を持った
人間が、プロなのではないのかと・・・」
セリフはこの通りではなかったかもしれないが,このような会話だったと思う。
問いかけた人間は,ネガティブな日々の中、また自分が心底撮りたいと思える被写体に出会えた有名カメラマン。
答えた人間は,最後に自分の全てを掛けられる馬に巡り会えた、名・老調教師。
「チャンス」という題名のこのドラマは,今の自分の心深くに食い込んできた物語だった。
様々な思惑が交錯する中「セカンドチャンス」が来る事を信じて、正直に生きる人々。
人の「思い」の強さ,人の信じる心の強さというものがダイレクトに伝わってくる、芯のある「強い」ドラマであった・・・

決して「折れない心」
倒れても倒れても「その度に立ち上がればいい」と思う心。
何度も折れそうになりながらも再び立ち上がろうと沸き上がる気力を持った強い心。
例え折れたとしても,また繋ぐ事が出来ると思う強い心。
そんな心を持ちたいと思いながら生きてきたと思う。
それが「当たり前」なんだと自然に思える人間で在りたいと。
しかし・・・
実際は弱い,弱すぎる自分がそこにはいて。
何度も何度も同じような失敗を重ねながら,時だけが矢のように過ぎ去っていって。
「なんでまた同じ事を!」
そんな思いを繰り返しながら,日々の仕事に向っていた若い頃の自分。
多分,とても臆病で、自分に自信など微塵も持てず、だから振り返ってばかりいた。
振り返っている内に,多くの人達に追い越されてゆき、自分だけどんどん取り残されてゆくような。
そんな中でいつも思っていた事は「全てが自分」という考えだった。
それがあったから僕は今でも生きていられるのかもしれない。
もし誰かに騙されたとしても「自分がその人間を信じたのだから仕方ないんだ」と思える生き方。
何が起こったとしても「自分」というものが中心に在るという考え方。
「人の後ろに隠れるという遣り方は,どんな場合でもとても卑怯な事である」
という「生き様」・・・

「生き様」という言葉はないのだと聞いた事がある。
だから,正しくは「生き方」なのだと。
しかし僕は「生き様」という言葉の方に,より強く惹かれてしまう。
「造語」だったとしても,その響きも含め、その人自身を、より表しているように感じるからだ。
「言葉」は「言霊」でもあるのだと思っている。
その人がその「言葉」に「思い」を込めていればいる程,その「言葉」は雄弁に語りはじめるのではないのだろうか。
僕は常に「向こう側」に行きたいと「向こう側」には行けるのだと思い,日々生きてきた。
それは,自分の「生きる」キャラクタ−達だけではなく、自分の綴る文章達にも言える事なのだと。
「文章」の「文字」の側に,「向こう側」に立ち、こちらの風景を見る事が出来ればと。
そうすれば「空気感」や「色」や「匂い」や「陽射し」や「触感」や「温度」なども伝えられるようになるのではないのかと。
「言葉」も「表現」も無限だ。
自由に,どこまでもどこまでも飛んでいける筈なのだ。
大気圏さえ突き抜けて,宇宙の果てまでだって、飛んで行ける筈なのだ。
それにはやはり頭を「柔軟」にしていなければ。
だから僕は「人」と「出会い」「話す事」が好きなのかもしれない。
様々な職種の人達と「交流」する為に歩き続けているのかもしれない。
ニュ−トラルな自分を保ち続けたいが故に,新たな「刺激」を受け続けたいと願っているのかもしれない・・・

2011/3/12(土)震災翌日,朝6時。
部屋のカ−テンを開け放つ。
イベントの為に滞在していた横浜のホテル(20階)の部屋から見る風景は,いつもの横浜の風景だった。
暖かい光に溢れた,いつもの横浜の風景だった。
左下に,今日・明日と熱気に包まれる筈だった「パシフィコ横浜国立大ホ−ル」が見える。
海上には,昨日から巡回を続けている海上自衛隊の船が。
遙か向こうには「スカイツリ−」
こんな高い所にも,時々、トンビやカラスが舞っている。
歯を磨き,顔を洗い、支度を調える内に「腹が減ったな」と思った。
「こんな時でも腹は減るのか」
そんな思いを抱きながら,スタッフに連絡を入れ「パシフィコ」に衣装の整理に行った後、朝食を摂ろうと、ボンヤリと考えていた。
エレベ−タ−は,どうやら一基だけを動かせるようにしたようだ。
いつものように「ビリ−ジョエル」を掛ける。
「アップタウンガ−ル」
イベントの朝一発目には,いつも「これ」と決めている曲だ。
気持ちが少し戻ってきた事を感じる。
ベットで携帯が震えていた。
スタッフからだった。
待ち合わせの時間を決めると,労を労(ねぎら)い合った。
窓際に立つ。
「必ず又来るよ」
そう語りかけていた。
部屋を出,エレベ−タ−ホ−ルで、フロントから言われたように内線電話を取る。
暫し待つ為,ソファ−に座る。
とたんに眠くなってきた。
「起きたばかりなのに・・・」
まどろみの中で,何故か「折れない心」という言葉が浮かんできた。
「お客様,お待たせいたしました」
と言う声に意識が現実に引き戻される。
ソファ−から身を剥がすように起こすと,エレベ−タ−に乗り込んだ。
ホテルのエントランスを抜け「パシフィコ」に向う。
スタッフが笑顔で迎えてくれる。
その笑顔を見ながら「ここからだ」と思った。
ここからが真の勝負なんだと。
そう,立ち上がればいいのだ。
何度でも。
そう,立ち上がり続ければ・・・

殺風景になったフロアを抜け,僕は「控え室」へと歩を進める。

「がんばれ・・・がんばれ!・・・」と呟きながら・・・



2010/11/5(金)15:16 茅ヶ崎「スタバ」にて
          &
2010/11/20(土)14:14 自宅にて
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2011/3/30(水)15:47 茅ヶ崎「スタバ」にて
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2011/3/30(水)20:24 自宅にて


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