20歳の頃 |
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〜薫風吹きて〜 20歳の頃,大学を中退した。 20歳の頃,あるシンガ−にはじめてサインをしてもらった。 20歳の頃,就職等したくないと思っていた。 20歳の頃,今しか考えられなかった。 20歳の頃,将来の事を語るのは夢でしかなかった。 20歳の頃,自分が40になるとは思ってもいなかった。 20歳の頃,自分は何とかなるさと高を括っていた。 20歳の頃,優柔不断だった。 20歳の頃,ずっと学生でいたいと思っていた。 20歳の頃,ずっとこのままでいられればいいのにと思っていた。 20歳の頃,たくさんの事を思っていた。 20歳の頃,何を思っていたのかはもう分らないけれど。 20歳の頃,何もかもが若かった。 20歳の頃,もう二度と帰れぬ、20歳の頃・・・ 茅ヶ崎市民文化会館の柿落としの一つが,「オフコ−ス」のコンサ−トだった。 僕は友人達と,はじめて「オフコ−ス」のコンサ−トに行った。 そのコンサ−トで強く印象に残ったのは,「LPと全く一緒の音だ」という事と、「小田さん殆ど喋らないんだ」という事と、スクリ−ン一杯に映し出された向日葵畑の見事な映像だった・・・ 「オフコ−ス」は,独特の美しい旋律と歌詞とを併せ持つデュオで、彼等の紡ぎ出す世界に触れる度、心の震えを鎮める事は出来なかった。 そんな「オフコ−ス」がバンド形態へと移行していった最初のアルバムが「スリ−・アンド・トゥ」で、その発表と時を同じくして行われたツア−が、僕達の行ったコンサ−トであった。 「オフコ−ス」が新たな胎動を始めたように,僕達も「20歳」という人生の一つの節目を迎え、「何かが始まる」といった希望だけに心を満ち溢れさせていた時期だった。 20歳になって,取りたてて何かが変わったという訳でもなかったが、10代の、あの特別な輝きとは又違った輝きが、僕達を取り巻いていた事は確かなようだ。 10代から20代へ。 「別に何も変わらないよ」 と強がりつつも,誰もが一つの季節の終わりを実感していたのだろう。 ただ,「祭り」はいつまでも続いていくものだと信じて疑っていなかった。 というより,終わる事等考えたくはなかったのだと思う。 新しく始まる季節を前にして,僕達は、それぞれの心の中で、それぞれの場所で思いを馳せていた。 そして,眼前に広がる大河の流れに慄きながらも、その流れに身を委ねなければいけない事も、分りすぎる位分っていた筈だった。 そう「筈」だった・・・ 確実に早くなっていくと感じられる時の流れの中で,僕達は、ささやかかもしれないが、抵抗をしたかったのかもしれないし、そんな思いの中で動き始めたのが,20歳という、何か特別な響きを持った季節だったのかもしれない・・・ 〜想い巡りし日々〜 あれは確か成人式の後の事だった。 皆,20歳になった事で妙に浮かれ、昂揚していて、I の駆るセリカXX(ダブルエックス)で、横浜の、今で言うソ−プランド(昔はトルコ)に行こうという事になった。 皆はその店に行ったのだが,僕はある理由から、近くの喫茶店で帰りを待っていた。 僕は当時,「片想い」をしていて、その子に悪いからという理由で行動を共にしなかったのだ。 「その子以外に目を遣る事など言語道断」 それ程僕は,その子に対して真っ直ぐだった。 友達はそんな僕の事を知っていたので,「お前頭かたすぎるよ」と呆れながらも、それ以上強く言う事はしなかった。 その子への想いのたけをぶつけた歌も作ったし,友達に車を出してもらって、その子の家を何度か訪ねたりもした。 しかし,あまりにも僕がしつこすぎたので、最後には、中原の「な」さえも聞きたくないと言っているというのを女友達から聞かされ、凄くショックを受けたのを憶えている。 今考えてみれば,そういう反応が返ってきて当たり前な事を僕はしていたのだが・・・ それ程僕はその子だけしか見ていなかった。 その片想いは3年位続いていたと思う。 いつその片想いが終わりを迎えたのかは憶えていないのだが, 始めて浜名湖の方に一人旅をしたのは、ようやく自分が「失恋」したという事実を受け入れたからだったように思う。 所持金は僅かに1万円ちょっと。 ユ−スホステルに泊まり,お金が続く限りと思い、フラッと旅に出た。 その後,僕はまた大きな片想いを一つするのだが、学習能力がないというか何というか、またまた同じ事を繰り返してしまった。(苦笑) 今ではあの苦しかった片想いも,懐かしい青春の一ペ−ジとして、僕の心の片隅に綴じられている。 その頃公開されていた映画「我が心のジェニファ−」が,あまりにも今の自分の境遇にピッタリと重なり合っていたので、サントラも買い、映画館にも何度も何度も足を運んだ。 あれほど一人の人を純粋に思い続けられたというのは,今考えると新鮮な驚きであったりする。 「一人の人を一生思い続けられますか?」 と問われれば,あの頃の僕は何の迷いもなく「ハイ!」と力強く答えていた。 「その人だけを見続けて生きていく」 その事は,ごく普通に、当たり前の思いとして僕の中に存在していた・・・ 〜ブロ−クン&ブレイブハ−トの時〜 そんな20歳の頃の自分を振り返ってみて思うのは,色々な意味で遅れていたという事である。 体力的にも精神的にも・・・ 特に精神面では,僕は同年代の人間より、3年は遅れていたのではないかと思う。 あまりにも幼かったし,あまりにも未熟すぎた。 すでに社会に出ている友達と比べて,大学生だった僕は、ただ社会にでるのを嫌がっていたにすぎず、毎日が現実逃避だったのだ。 あの頃の僕は,ただ流れていく日々の中で,自分を腐らせていくだけの存在だったように思われる。 大学にさえ僕は自分の居場所を見つけられず,途中からは、学校に行くフリをしてブラブラと過ごしたり、バイトに精を出す日々を送っていた・・・ 実は,19歳の時に専門学校に問い合わせをしていたのだが、僅か一日違いで入学申し込みは締めきられていたという事があった。 もしこの時,一年早く専門学校に行く事になっていれば、僕は「声優」にはなれていなかっただろう。 あの「一日違い」が,僕の運命を決めたとも言えるのかもしれない・・・ 大学に入って約一年がたった頃,僕は担当教授の元を訪れ、中退をしたいのだという自分の考えを打ち明けた。 教授は,一年考えてみなさいと、「休学」という形を取る事を僕に勧めた。 部屋を辞去して緊張から解き放たれた僕の頭の中には,来年、20歳になったら専門学校を受けるという事と、その為の資金をつくるという事、そして多分、「逃げる」事が出来たという暗い喜びが心の中を占めていたのではないかと思う。 あの時,自分にとっては「専門学校に行く」というよりも、「大学をやめたい」という気持ちの方が強かったのではないのかと、何日か自問自答を繰り返していたのだが,答えは見つからず、あやふやな思考の堂々巡りを続けるだけであった・・・ 「何はともあれ,僕は新しいスタ−トをきることが出来た」 そして僕は専門学校に入り,シンガ−ソングライタ−になりたかったという潰えた夢の続きを見ようとしていたのだろう。 夢を食べて生きる事など出来ないと頭では分っていながら,自分は夢を食べて生きる事が出来るんだと信じたかったのだろう・・・ 「夢」はある種の麻薬のように,甘い時間を醸し出してくれた。 でも,未だに分らない事がある。 それは,「何故自分の瞳は曇らなかったのだろうか」という事だ。 その一点が僕を助けたとも言える・・・ 社会に出るという事で僕が一番嫌がっていたのは,「責任」を持たなければいけなくなるという事だったのではないのかと思う。 気ままに生きたいという,甘えた考えしか僕の中にはなかったのだ。 今なら「そうだった」と断言できる・・・ 〜輪舞( ロンド )〜 ここで憶いだした事がある。 自分が生み出した歌達の事だ。 17、18の時に書いた歌の詩の一節を読み返してみると、その頃、20歳近辺に僕が何を思っていたのかが如実に分り、それと同時に、「そんな事を考えていたのか」と、ある種の驚きを禁じえない。 そう,この歌詞の中には、あの頃の僕が今でも息ずいている。 真っ直ぐだった僕が息ずいている・・・ ********************************************************** 〜「運命(さだめ)」〜1979/8/26(作曲)・8/27(作詞)・2番抜粋・ 今,時が帰る、僕の心の中で だけどあの頃の思い出達は,僕に追いつく事はない 止まる事を許されぬ時の流れの中で 君が果てしない夢を追うなら,流れに呑まれてはいけない 君に大切な事は,待つ事ではなく 運命のレ−ルは自分で,ひくもの、そして変えるもの 一つしかない君の道が,見えたら走り続けよう 〜「人生坂」〜1979/10/19(作詞作曲)・2番抜粋・ 歩き始める前は,先の事は見えない 歩き出して始めて,先の事が分る 答えを怖がっては,何も出来ない 悔やむ事を恐れては何も出来ない 時に流されてただ日々を過ごす 人生とは,そんなものか 一歩ずつ確かめて,長い坂を登る 今日という日を,心に刻み 〜「明日に向かって」〜1978/高3の時、フォ−ク同好会のテ−マソングにと作詩作曲した歌・1番抜粋・ 誰もいないそんな時 ギタ−を弾けば聞こえてくる 友の熱い手拍子の,高まりが、ほら、君の周りに 歌を唄えば,みんな一つさ イヤな事があったらいつでもおいでよ 心に,何かをあげるから 唄おう,唄おう、今この時を 唄おう,唄おう、青春の情熱を あしたに向かって,新しい出発(たびだち)を ********************************************************** そう,いつもいつも、新たなスタ−トが出来る事を願っていたのかもしれない。 見えない明日が見えていると思いたかったのかもしれない。 「何か」を掴めると信じていたのかもしれない。 いや,信じたかったのかもしれない。 あの頃。 そして・・・20歳の頃・・・ |
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