一本の木


 

「一本の木」〜act1〜
 

赤坂のスタジオで仕事を終え表に出た時,急に来た道とは逆の道をおりたくなり、そちらに歩を進めた。
何か初夏を思わせるような陽気が,鮮やかさをました緑が、そんな気まぐれをおこさせたのかもしれない・・・
道を下りて行くとすぐ右に,古い懐かしい感じの家があり、庭には古木が立っていた。
「いいなぁ・・・」等と思いながら,歩き過ぎてしまおうと思っていたのだが、違う角度からも見たくなり、右に回る道を辿ってそこの庭の向こう側へ回ってみた。
そして正面を見た瞬間,「わぁ・・・」と思い、僕はそこにしばらくの間、口を開けたまま佇んでいた。
その道は,坂の上にある中学へ通じる道になっていて、道の真中に、大きな一本の木が、威風堂々立っていたのである。
上の方の枝は何本も途中で切られているのだが,(多分回りの邪魔にならないようにだと思う、建物等の)上へ上へと新しい命を咲き広げていて、その木の持つ生命力というか強さのようなものが静かに伝わってきた。
暫くその巨木を視界の全部にとらえていた僕だが,やがてゆっくりと踵を返すと歩き始めた・・・
そして自分なりに発見した事なのだが,この赤坂には木が多いという事。
それも,古い木がそこここに、コンクリ−トジャングルの中で逞しく生きている。
まさしく「生きている」という感じでそこに立っている・・・
僕は先程の一本の木の事を考えながら,「そういえば、あの一本の木は元気かなぁ」等と思い出していた。
そう,秋になると毎年のように訪れていたあの地に立っていた、一本の木の事を・・・

 


「一本の木」〜act2〜


・・・秋になると,清里に毎年のように出かけていた時期があった。
僕が初めて清里を訪れたのは,もう10年以上も前の事になるのだが・・・
新宿から特急「あずさ」に乗って小淵沢へ。
駅に降り立ったとき,「高原に来たんだなぁ」と実感したものだ。
そこから小海線に乗り換え,一路清里へ・・・
まずは,有名な「清泉寮」に行って、名物のソフトクリ−ムを食べる。
このソフトクリ−ムが絶品で,これを食べずして清里に来たとはいえないだろうという一品だった。
そしてもう一つ,絶対はずしてはいけない場所が、「萌木の村」である。
清里駅の喧騒から少し離れたところにあるその場所は、当時でもまださほど知られておらず、ゆっくり散策するには最適の場所であった。
小さなお店がいくつもあるのだが,その中でも個人的に超オススメなのが、手作りのジャムやクッキ−の店「ウォルナットグロ−ブ」と、ドライフラワ−の店「む−あん」。
「ウォルナットグロ−ブ」では,是非「雪のかけら」を食べてもらいたい。
シュガ−パウダ−をふりかけたこの焼き菓子は,口では表現できない食感と味が絶妙で、やはりこれを買わずして清里を語るなかれという一品である。(と勝手に思っているハハハハ・・・・・)
勿論,手作りジャムもオススメである。
そして「む−あん」,様々なドライフラワ−を扱っているこの店は、「萌木の村」ができた最初からある店の一つで、やはりここにもよらないと「萌木の村」に来たという感じがしない。
それともう一軒,清里の土で作った「土くれ人形」を作っていた店があったのだが、その店は、僕が2度目に訪れた時にはなくなっていた。
(その店の方はオ−ストラリアに移り住み,今ではそちらを拠点に創作活動を続けているようだ)
その方の作る人形達(子鬼など・・・)はとても愛らしく,そこがなくなってしまったのを一番悲しんでいたのは、僕に清里を教えてくれた人だった・・・

 

 

「一本の木」〜act3〜
   

そして忘れてはならないのが,「ホ−ル・オブ・ホ−ルズ」。
ここには,世界中のオルゴ−ルが集められており、毎週水曜と土曜(だったと思うのだが)の夜には、オルゴ−ルコンサ−トが開かれている。
ここでオルゴ−ルの音色に触れていると,不思議に、心が澄んでいく気がする・・・
ここには何度でも足を運んで,オルゴ−ルの音色を飽く事なく聞いてもらいたい・・・
最後に,疲れた体を休ませるのは、喫茶店「ケ−プコッド」。
ここに来たら絶対食べてほしいのは,「花豆ケ−キ」。
花豆は地元の特産品で,土日など早く行かないと売り切れてしまっている場合が多い。
平日はそうでもないのだが,一度など、売り切れていて一年間おあずけをくっていた事がある。
他のケ−キもそうなのだが,お皿にも様々なデコレ−ションが施されており(アイス等がトッピングされている)見た目にも鮮やかで、楽しい気分にさせてくれる。
しかし,食べるなら「花豆ケ−キ」。
ここではこれしか食べてはいけない。ハハハハハハ・・・・・
この「萌木の村」は,入り口のところからいい感じで、枕木がおかれた土のままの小道が連なっていて、そこを歩きながら村の中にわけいっていく。
入り口の手前には,「ロック」という、清里で一番古いカレ−の旨い山小屋風の喫茶店があり、入り口を入ったところには、木立に囲まれてひっそりと佇む、「ハットウォ−ルデン」というホテルが建っている。
そこには僕も泊まった事があるのだが,手作りでつくられたような温かみのあるホテルで、ジャム等も自家製で、料理も美味しい。
国道からちょっとしか入っていないのに,静かで、冷え込む夜には暖炉に薪がくべられ、コ−ヒ−やカクテルを飲みながら、静かに読書をしたり語りあったりできる。
ここも凄くオススメのホテルである・・・というか、であった・・・
何故過去形なのか,それは、最後に訪れた3年前が決定的だったのだが、少し前から、「萌木の村」にも開発の手が伸びてきていて、ちょっと小高い場所をならしてメリ−ゴ−ランドを作ったり、華やかなショップを増やしたり・・・
静かな「萌木の村」が,だんだん騒々しくなってきていた・・・


「一本の木」〜act4〜


・・・そして,3年前の秋に2年振りに訪れた時・・・
駅からタクシ−に乗り「萌木の村」を目指したのだが,タクシ−が着いた所は、キレイになった広大な駐車場で、「えっ、ここは・・・」と一瞬自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
あの「ロック」は老朽化が酷く店じまいをすると聞いていたのだが,(建物はクロ−ズの札がかけられたまま、まだ建っていた)でも、あの枕木でできた階段や、スロ−プは影も形もなく、森の中にひっそり佇んでいた「ハットウォ−ルデン」は、周りの木々を全てなくされ、丸裸の状態で目の前に晒されていた。
そして一番驚いたのは,「ハットウォ−ルデン」の横にあったテニスコ−トまでも潰した広大な土地に、あの「ロック」が、巨大なビア・レストランとしてオ−プンしていた事だ。
僕はこの現実をすぐには理解する事ができず,愕然と立ちすくんでいた。
「あの静かな佇まいの萌木の村は・・・」
都会から田舎を目指す人間達は,自然に触れたくてやってくる、自然の息吹を感じたくてやってくる。
確かに今はこれでいいのかもしれない。
地元の人間が働く場所を増やし,色々なものを作って人を呼び込むのに四苦八苦して・・・
しかし,自然をなくしてしまっては、壊滅させるような行為をしてしまっては、本末転倒であろう。
この先,10年後、20年後には、ここは誰も振り向かない忘れられた場所になってしまっているのではないか・・・
そんな思いに強くとらわれた。
「ほんの1.2年でこんなに変わってしまうなんて・・・」
一度壊されてしまった自然は,多分もうあの時の輝きを取り戻す事はできないのだろう。
自然は,やはり人間には作り出せないものなのだと思う。
例え作り出せたとして,我々人間は、その100年.200年を待つことができるのだろうか・・・
ふと,そんな事を考えてしまう。

「一本の木」〜act5〜

・・・その「萌木の村」のはずれに広い草原があり、中程にポツンと、一本の木がたっている。
3年前も,僕が初めて「萌木の村」を訪れた時そのままの姿で、その木はたっていた。
その木に会いたくて,僕はもしかして毎年のように清里を訪れていたのかもしれない。
「やぁ,元気だった、また会いに来たよ」と、年に一度の挨拶を交わす為にきていたのかもしれない。
あの木は今もまだ元気にたっているのだろうか・・・
あの草原にも何かかできていて,あの木は見えなくなってしまっているのだろうか・・・
スタジオの帰りに見た一本の木も,清里の一本の木も、人の営みとは無縁の世界で生きている。
自分がそこに,あるべきところにたって生きている。
人間は自分の勝手で,時にはその木を簡単に切り倒してしまったりする。
残されたとしても,たっている周りをアスファルトで固められたり、家に囲まれたり・・・
そんな中でも,「一本の木」は生き続けていく・・・
せちがらい世の中とは次元の違う世界で生き続けていく。
自分の中に残っている,清里が、萌木の村が、眩しい程に輝いているだけに、僕は、ただ、僕自身が納得できないだけなのかもしれない・・・そうなのかもしれない・・・
でもあの「一本の木」だけはなくさないでいてほしい。
その一本は,無限の大きさを内包した一本なのだから・・・



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