凪の岸辺で |
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「カタカタカタッ・・・」 外の風に窓硝子が震えている。 古いこの茶屋は,入った空間が土間で、窓際が座敷になっており、冬になると石油スト−ブがいくつか置かれていた。 目を転じると,鳶が強い風に煽られながら飛んでいる。 お汁粉や甘酒を啜りながら,夕陽に染まる海と空をよく眺めていた。 寒い季節が訪れてくると,必ずといっていい程浮かんでくる情景だ。 いや,音を思い出すといった方がいいのかもしれない。 「カタカタカタッ」という窓の鳴る音が最初に聞こえてくるからだ。 そして,鳶が飛ぶ様と、夕景。 昔は当たり前に目にしていた土間も,今では珍しくなった。 その場所に行くと必ず立ち寄っていたのが,古びた茶屋と、ラ−メン屋だった。 今にも朽ちてしまいそうな茶屋が何故気にいっていたのかといえば,多分寂れ方だったのではないかと思う。 聞こえてくる音といったら,「カタカタカタッ」と鳴る窓の音と、鳶の鳴き声、スト−ブにかけた薬缶が湯気をあげる音、そして、柱時計が時を刻む音だった。 醤油ラ−メンを食べて,帰りに茶屋へ寄る。 それが定番のコ−スだった。 いつの頃か,その茶屋は取り壊され新しく建て直され、ラ−メン屋は移転してしまった。 時の流れとはかくも残酷なものかと,自分の中の大切なものが失われる度、思い知らされる。 もう何年も前の出来事なのに,よせては返す波のように、僕の中に、その「音」は「映像」は、繰り返し流され続けており、実は、そこから僕自身が一歩も踏み出していないのではないのかという「畏れ」にも似た気持ちに包まれてしまう瞬間がある。 周りの時は確かに動いているのに,本当の自分はあの時の時間の中に閉じ込められたままフリ−ズしてしまっているのではないのかと。 そして今の自分はただの抜け殻で,惰性で生きているだけなのではないのかという、漠然とした不安に支配されてしまう。 仕事はしているのに,食事はしているのに、旅行はしているのに、話しはしているのに、本は読んでいるのに、何かに感動しているのに、紅茶や珈琲を飲んでいるのに、映画を見ているのに、時間を気にしているのに、お酒を飲んで酔っぱらっているのに、綺麗な月を見上げているのに、HPを見ているのに、言葉を聴いているのに、「ふざけんなよ」と怒っているのに、電車に揺られているのに、歩いているのに、風を感じているのに、光りを感じているのに・・・感じているという事も錯覚で,何も感じていないのではないのか。 ここに自分はいないのではないのか。 そんな思いが,メビウスの輪のように、いつ果てる事もなく続いている。 「今の自分は本当の自分なのだろうか?」 多分自分は「あの頃」に帰りたいんだろう。 終わってしまった事を認めたくないだけなのだろう。 今が夢で,気がつくと目の前には、仄かに湯気をたてる甘酒が置いてあり、そして・・・ 「カタカタカタッ・・・」 しかし現実には,それは「過去」の音で、遠い闇の彼方からの誘(いざな)いだ。 「夜」と「闇」 そう,夜はその名の通り、昼が過ぎないと訪れる事を許されていない時間だが、「闇」は、白昼堂々その姿を表す。 僕の中には,その「闇」が多く存在するのかもしれない。 「闇」が顔を出す時,僕は白日夢を見ているのかもしれない。 「今」と「昔」が入れ替わる時間は,突然やってくる。 そして,その向こうに現実の風景を透かしながら、過去が束の間の時間、たゆたっている。 自分の中に,もう一つの時間が流れているようだ。 それは,行き場を失い、留まりながら同じ所を回っているようでもあり、時々ひょっこり顔を出す。 時には懐かしさを,時には絶望を振り撒きながら。 「闇」は濃く,質量を伴っている。 その深さには果て等ない程だ。 どんな夜でもやがて朝は訪れるが,「闇」はただ静かにそこに存在し、降り積もっていくようで、濃さを一層際立たせていく。 しかし・・・ 昼間に「闇」が訪れるのならば,「闇」の中に「光」も現れるのでなないのだろうか。 そんな事に思い至る。 「闇」と「光」は,お互い相容れない存在として長きに渡り語り続けられて来ているが、実は共存しているのではないのか。 人は「光」を求めて生きる動物だと思っている。 僕自身が,自分の中の「闇」に「光」を見出した時、あの頃の自分と初めてシンクロ出来るのかもしれない。 あの頃の自分は,実は別の空間で、「光」しか見ておらず、人の心の「闇」の存在等知る由もなく、こちら側のもう一人の自分の姿等、想像もしていない事だろう。 「闇」に「光」は見えるのか。 「闇」の向こうから滲み出すように「光」が溢れてくる光景を思い浮かべながら,僕は、「彼とは一つにならなければ」と思う。 そうしなければ,これからの僕は有り得ないのだ。 そんな事を考えていると・・・聞こえて来た・・・ 「今日も風が強いのだろうか」 己の内の「闇」と向かい合いながら,僕は「光」を捜している。 まだ見ぬ「闇」の向こうに,自分自身の存在意義を問い掛けながら。 「闇」の向こうの意識に問い掛けながら。 再び,「闇」と「夜」が溶け合う時間が訪れる。 僕は今日最後の陽を浴びながら,ぼんやりと佇んでいる。 目の前のカップから立ち上る湯気の向こうに,全ての事柄が見えるようで、一度瞼を閉じ、ゆっくりと開けてみた。 一瞬,自分の笑顔が、揺らめきの先に見えたような気がした・・・
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