ニライカナイの季節

 




・・・この季節になると心がさざめいてくる。
無性に,あの海とあの空の碧が恋しくなり、あの空気に身を包まれたくなる・・・

まるで静止してしまったかのような時間の上に強烈な陽射しが降り注ぎ、その中を、島の様々な音を連れながら、一陣の風が渡っていく。
その様を,僕は木陰にいて感じている。
頭上では蝉達の声がかまびすしい。
まるで別の生き物のように,影が大地に横たわる。
不思議な,懐かしいような感覚の時間の中に僕はいた。
やがて迎えのマイクロバスが,白い道をこちらに向かってくるのが見える。
すると,又時間がのっそりと歩み始めたようだ。
揺らめく蜃気楼の彼方からやってくるようなバスに目を細めながら,僕は思っていた。
何度でもこういう時間が訪れればいいのにと。

夏が急速に好きになっていったのは,14年前の事だった。
その年の夏。
僕は初めて「沖縄」の土を踏んでいた。
言葉でしか知らなかった「南国特有」といわれる空気を体が感じた瞬間,僕は別世界に入り込んでいた。
あの時の印象があまりにも鮮烈だったので,それ以来沖縄に心を奪われてしまったようだ。
初めて降りた那覇空港。
「南西航空」という南国を想起させる翼に乗り、何の予備知識もなく渡った離島「久米島」
そこでの体験は,確かに僕の人生観を変えた。
最初に書いた文章は,久米島の名所「はての浜」から戻って来て、船を降り、木陰で迎えのバスを待っている時に僕の目に映った風景描写であり、また心象風景でもある。

「はての浜」というのは,久米島の沖合いに、4キロ程に渡って横たわる長大な砂洲の事で、久米島を訪れたのなら絶対渡ってみるべきポイントとして有名で、まさに「夢のような場所」である。
「はての浜」への玄関口であった小さかった港も,今では埋め立てられ変わってしまったのだが,その当時、港の広い砂洲には、それこそ沢山の蟹がいた。
片手が大きく,片手が小さなその蟹達は、船が入ってくると一斉に砂の中に隠れ、暫くすると皆ゆっくりと姿を表した。
何千・何万という蟹達がそれこそ一瞬の内に姿を隠す様は圧巻で、港に行くのが凄く楽しみになっていたものだ。

とにかく初めて浴びた沖縄の陽射しは,あまりにも強烈だった。
あの時,僕は、那覇空港から少し離れた「南西航空」のタ−ミナルビルを目指してテクテクと歩いていた。
7月初め。
もうすでに沖縄の梅雨は明けていて夏本番に突入しており,全ての色がクッキリとしていた。

「南西航空」
このネ−ミングに,これからの旅情をかきたてられていたものだが、今ではその名称はなく、「JTA(日本トランスオ−シャンエアライン)」という、酷く今っぽい、南国を思わせるものなど微塵もない機械的な名前になってしまった。
その名前に郷愁に似た思いを抱いていた自分にとって,名称変更を知った時には非常に淋しい思いがしたものだった。

プロペラ機に揺られる事30分程。
降り立った空港は,遠い地に来たという感慨を抱かせるのに充分な佇まいだった。
その鉄筋平屋建てのタ−ミナルに入り,ぐるりを見まわす。
ここは空港というよりどこかの田舎の古い駅舎のようだ。
カウンタ−で初めて食べたソ−キそばの味は忘れられない。
路線バスに乗り込み,ホテルを目指した。
車窓を流れる景色に暫し見とれる。
沖縄独特の赤瓦屋根の家々,砂糖黍畑、赤や黄色のハイビスカスや、ブ−ゲンビリアの花々。
それらが,昼下がりの射すような透明な陽射しを浴びながら、蒼すぎる蒼を背景に僕の目に迫ってきた。
沖縄のゆったりとした時間の中を,バスはのんびりと走り続ける。

そういえばこんな事があった。
ある場所で停まり,小学生が何人か降りようとしていたのだが、その内の一人がどうやら小銭が足りなかったらしく、運転手の女性が(殆どの島民と顔見知りのようだった)、「待っててあげるから取っておいで」とその子を送り出したのである。
白い風景の中,待つ事10分弱、タタタッと走ってきた先程の子が、握り締めた小銭を渡すと、バスは何事もなかったかのように走り始めた。
待っている間,不平を言う者など誰もいなかった。
島は,人は、「オキナワンタイム」の中で息づいているのだ。
こんな時間の中で,育まれ生きられる人生に、羨望を憶えずにはいられなかった・・・

「リゾ−トホテル久米アイランド」
それが目指したホテルの名称だった。
南欧風の佇まい。
館内のロビ−にも沖縄の花々や緑が散りばめられており,あのムッとする濃い空気が僕を迎えてくれた。
そしてブル−に統一された部屋は余裕を持って造られており,「リゾ−トに来たんだ」という思いが沸沸と湧いてきたものだった。
夕方,近くのイ−フビ−チに散歩に出かけて驚いた。
海が完全に干上がっていたのだ。
ホテルに戻りビ−チカウンタ−のスタッフに聞くと,この時期、浜は午前中であのような状態になってしまうとの事だった。
プ−ルサイドに行き,ウエルカムデザ−トのアイスを注文した。
初めての南国体験は,ドキドキの連続だった。
翌日,沖縄というものを僕の中に決定づける「はての浜」に上陸する。
そこで僕は,エスコ−トサ−ビスの人からシュノ−ケリングをする事を強く勧められ、海の中を少しだけ覗く事となった。(最初自分にはその気が全くなかった)
海に顔をつけた時,僕は沖縄の虜と化していた。
あれから全く変わってしまったといってもいいかもしれない。
水の中に広がる別世界,「楽園」を感じた瞬間だった。
それと共に,僕は千変万化する海の色彩にも心を奪われていた。
「はての浜」への海路。
言葉ではとうてい言い表す事等不可能と思われる,多くの碧の乱舞。
そう,僕はその他にも、溢れる沢山の天然の色をこの地で体感したのだ。
決して人の手で表現され得ぬ色達を。

それから僕は毎年,夏になると沖縄の呼び声を聞くようになる。
今まで僕が訪れた島々は,久米島(3回)・渡嘉敷島(2回)・与論島(厳密にはここは鹿児島県、2回)・石垣島(1回)・宮古島(1回)・本島(1回)となっている。
それぞれの島体験は僕の中で今も総天然色の輝きを放ち続けており,数々のエピソ−ドは、枚挙に暇がない。
初めての渡嘉敷島での民宿体験。
「今晩は中原さんだけさぁ」と,民宿の人達や近所の人達に混ぜてもらって、外のテント屋台で夜中まで泡盛を飲み続けた事。
民宿ではアルコ−ルを全てタダで飲ませてもらった事。
夜中,浜に降り、見上げた僕の目に飛び込んで来た「あまの川」のあまりの凄さに、暫し呆然としていた事。
民宿の隣に住む人に,「明日、モ−ニング・コ−ヒ−飲みに来ないか」と誘われ、振舞われた事。
喉が乾いたら水分を摂り,お腹が空いたら御飯を食べるという、当たり前だけど、中々体験できない時間を味わえた事。
島の音しか聴いていなかった事・・・
与論島・プリシアリゾ−トの美しすぎる佇まいと、海際のジャグジ−が気持ち良すぎて、そこから、着陸する飛行機を飽くことなく眺め続けていた事。
陽射しがあまりに強すぎて,パラソルの下のビ−チ・チェア−に、10分と寝転がっていられず、その度に飛び跳ねながらシャワ−を浴びにいった事。
咲き誇るブ−ゲンヴィリアの群落が見事だった事・・・
台風とドンピシャだった石垣島。
「この時期に台風が来るのは珍しいよ,お客さん大当たりさぁ」と、のんびりとタクシ−の運ちゃんに言われた事。
毎夜、ホテル内の、陶器や染物を扱う店に行き、黒糖とお茶を振舞われた事。
プ−ルサイドのシャワ−が,レトロで気にいっていた事。
海上を行く竜巻を初めて見て興奮した事・・・
行ってみたい島の一つだった宮古島。
大浴場からも海を見ていた事。
吉野海岸のあまりの美しさに,4日間通い続けた事。
「スコ−ルだ」と思ったら辺りいちめん暗くなって豪雨となり、10分程すると嘘みたいにカラッと晴れあがった事。
まさに海しか見ていなかった事・・・
時間があまり取れずに行った,本島・名護。
ホテルの部屋から見た稲妻の饗宴が凄かった事。
水納島でシュノ−ケリングをしていた時,ふと顔をあげると、周り一面クラゲで生め尽くされていた事。(少したって気がついたらいなくなっていた)
葉っぱかと思ったら,小さな木に、それこそ何千羽もの蝶が群れていた事。
バスが何度もスコ−ルを突っ切った事・・・

何かに触れるという行為は,心の中の何かを触発する。
それは形があるものでもないものでも一緒だと僕は思っている。
自分でも気がつかない内に降り積もっていたもの達は,やがて熟成され、豊潤な香りを醸し出すようになる。

「その人から滲み出しているその人らしさ」

それは上記のようなところからも来るのではないだろうか。
色々な人に触れる事は,様々な事柄に触れる事は、とても大事な事だ。
つくづくそう思う。
「あの,屋台のおばぁは元気だろうか?」
「水納島の,送ってくれたおじぃは健在だろうか?」
そんな事を思いながら,沖縄の風景を憶いだしてみる。
ビ−チに座り,寝転がり、海に浮いている自分。
夕陽を眺め,心地良い風に身を任せている自分。
「楽園」にいる自分。

また「夏」がやってきた。
その度に,僕は沖縄を憶いだし、遙か彼方の海の向こうに思いを馳せる。
「ニライ・カナイか・・・」
その季節を,心がさざめくその季節を、いつまでも胸の内に抱いていられる自分で在りたい。

「島の風に吹かれたい」
乾いた心がそう呟いている・・・



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