レイズ・アップ

 




 最近は革小物を購入する事が多い。
薬や飴類,ティッシュや判子に至るまで、それらを保護する革ケ−スを全て揃えないと気が済まなくなってきたのだ。
去年のクリスマスには,注文しておいた、アルミ&革で造られたPCケ−スが仕上がってきて(これはPC用に造られた訳ではなく、僕がそれ用として購入を決意した)、嬉々としていたのだが、今年になり、早くも残りの品の完成が待ち遠しくなっている。
ペン・ケ−ス(ペンが2本程入る物)と、2種類のブックカバ−(ハ−ド用・文庫用)、どちらも、黒を主体としたヌメ革に茶の革がアクセントになった、年齢をある程度以上重ねた人向きの一品だ。
そしてもう一品は,僕の愛機「レッノ−トW2」を優しく包(くる)んでくれるであろう革カバ−。
(これに包んで,アルミケ−スに入れた時点で、初めて完成となるのだ)
こちらは,僕がよく靴を見に(買いに)行くショップの、仲良くなったデザイナ−の子に任せてある。
ある時,「PCの革ケ−スってあるようでないんだよねぇ」という話をしていた時、「なら僕が作りましょうか?」
「時々自分でも革で色んな物を造るんですよ」と、お手製の鞄等を見せてくれた。
革は,仕事柄、工場に行った時に、余った分を非常に安く貰い受けたり出来るようなのだ。
しかし,あれから2ヶ月以上が経過しているが、まだ彼は手を付ける事が出来ないでいるのが実情だ。
どうやら,PCを包み込むだけの大きな革というのが中々ないらしいのだ。
そして,彼がイメ−ジしている革が。
会う度彼は「申し訳ありません」と言い、「いいよ、いいよ、別に急いでる訳じゃないし」と僕は答えるのだ。

彼の所に足を運ぶのにはもう一つ理由がある。
違うところで買った,僕が「会心」と思えるブ−ツを見せに行くのだ。
すると,彼は目を輝かせて、その製法であるとか革の種類やなめし方等を、つぶさに見て、色々な話をしてくれる。
勿論,ケアの事や、実際にケアして欲しいブ−ツを履いていって、その場でしてもらった事も何度もあるし、これからもあるだろう。
ただ,ケア全般で言えば、「ここにはそれだけの物が、色々な種類の物は揃っていないので、街の靴屋さんのような所を一つ見つけておいた方が絶対いいですよ」と、言われている。
「やはりショップは,ショップの人間は、売るのが商売ですから」と。
彼は,決してチェ−ン店のようなところも侮れないと言う。
靴屋を数十年やってきた人等が,再就職のような形で店に立っている場合が多いそうなのだ。
その言葉に従って,僕も地元で一軒、そういう場所を見つけておこうかと思う。
シュ−ケアグッズも,今年は色々な物を揃えようかと考えているのだ。
それと同じように,最近は時計にもだんだん興味が沸いてきていて、バンドの調節が自分でも出来るようなグッズを、実は既に発注済みだったりする。
そういう事が嫌いな筈の,グウタラな自分とは思えない変貌振りに頭を傾げながら、「手入れはキチンとしてやらないとな」と思う自分がいるのだ。

そして,去年の後半位からなのだが、ふと、こんな風に考えるようになったのだ・・・

僕の場合,自分自身が商売道具であると同時に、「楽器」であるとも言える。
その「楽器」をキチンと色々な場所に運ぶ為の「ケ−ス」として,服というものが存在するのだと。
だから,服や鞄、靴等に拘りを持つのは必然なのではないのかと。
そう思った瞬間,目から鱗が落ちた気がした。
自分が一番大事にしなければいけないのは自分自身で,自分という「楽器」がいい音色を奏でる為には、身体のケア,心のケアと共に、身に纏う物に対するケアも大事なのだと、突然、脳裏に浮かんだのだ。
自分が気持ちの良い空気を纏う為にも大切な事なのだと。
そして,確かに気が引き締まるというのはある。
服から靴,鞄、小物類までをト−タルで考えて身に纏った時、不思議な高揚感と、気持ちが一つに凝縮し、澄んでいくような感覚に捉われる事がある。
仕事内容によって,プライベ−トによって変化させる事によって、気持ちの在り様までも、まるで万華鏡のように様々な広がりを見せるのだ。

ワンポイントでもいい。
わざと,はずした組み合わせでもいい。
日々の気分や天候,思いつきでもいい。
千変万化する心の在り様のように,ト−タルコ−ディネイトも千変万化して当たり前なのだ。
そう,「全ては変幻の中にある」のだから。

案外僕は,何事に対しても「武士は喰わねど高楊枝」という言葉を使うのだが、まさにそんな按配で最近は服等を購入している。
勿論,高ければいいとも、ブランドがいいとも思っていない。
その人に合った服装であれば,ジ−パンとTシャツだけでも、凄く素敵に見えるのだ。
誤解のないように言っておくが,高い物やブランド物が持つ「良さ」という点は認めて尚、という事だ。
最近は衝動買いしても,昔のように、失敗する事が減ってきた。
それはやはり,様々なデパ−トやショップに足を運び、多くの物を見て触れてきたからだろう。
一番大きいのは,朧にも、自身に合った装いというのが見えてきたからだろうか。
だから「踏み止まる」という行為が自然に出来るようになってきた。
「いいな」と思う物は,それこそ数限りなくあるのだが、自分の所有している物達を思い浮かべながら、選り分けながら、「凄くいいと感じる物」にしか食指が動かないようになってきたのだ。
そして,「出会い」というのも重要なファクタ−だ。
その時迷っていて,時間を置いてまた行った時、欲しいと思えるのか。
又は、なくなっていたとしても、「俺とは縁がなかったんだ」と率直に思えるようになってきたのだ。

もっと稼げるようになったら,あるレベル以上の一品を購入しようと心に決めている物もある。
しかし,ごく最近、ある一線を呆気なく超えてしまったので、次の一線は、絶対に侵さないようにしようと思っている。
近々,購入予定は、2種類の靴(レザ−用)クリ−ムだ。
片方は,服や鞄にも使えると言う。

僕は今日も,気持ちの良い物達に包(くる)まれながら、街を闊歩する。
リラックスしながら,気持ちを集中しながら。
緊張感も内包しながら。

2004年,僕は「真ん中」を行く。

日々「レイズ・アップ」,これまでより上に・・・



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