贅沢な休日


「まるで一服の絵画のようだ」

僕の前に雪原が広がっている。
大きな,丁度四角形の、枠が木でしっかり作られたその窓から見ていると、本当に絵を見ているのではないか
と錯覚してしまうぐらいだ。
タイトルをつけるならば,「或る日の雪景色」といったところだろうか。

僕は今,その窓に向けた椅子に腰掛け、背凭れのないミニチェア−に伸ばした足を乗せ、腿の上にクッション
とハ−ドカバ−を台代わりに、そこにノ−トを広げこれを打っている。
ふと目を上げると,外の様はガラリと変わっていた。
雪は窓に叩きつけられるように舞い,先程まで見えていた奥の景色は、白に塗り込められていた。
いや,白というより薄い灰色といった方が当てはまるかもしれない。
見る間に視界が悪くなる。
しかし,突然明るくなったかと思うと、晴れ間が覗いてきたりと、まったく山の天気は変わりやすい。
だが,今日はこのままの感じでいきそうだ。
その証拠に,もう殆ど目の前のものしか見えなくなっている。
このままいくと僕も飲み込まれてしまうのではないか,そんな漠然とした不安が頭をもたげてきた。
「この景色に同化してしまうのも悪くないか」
そんな思いに一瞬とらわれていた・・・

「誰もいない」
最初の温泉での時を,僕は一人、貸切状態で満喫した。
檜の半露天では,浸かったり出たりを繰り返し、その度に風の具合で様々な角度で吹き込んでくる雪達を全身
に浴びていた。
まるで僕目掛けて降ってくるような雪達は,「遊んで!遊んで!!」と言っているようで,だから僕も、
体全体で彼(彼女)等を受けとめ,「遊んであげるよ」と心の中で呟やいていた。
一体どの位の時間そうしていただろう。
いつまでもこうしていたいという誘惑に抗いながら,僕は立ち上がった。
その半露天の向こうは,小さな池のような、水の溜まりになっているのだが、湯船から溢れ出したお湯と凍った
水面が、丁度半分程のところで攻め戯会いをしていて、そこが又、半月の入り江のような綺麗な曲線を描いて
おり、僕の目を釘付けにした。
夕食後に訪れた時も,やはり半月は失われてはおらず、風も寝静まってしまった中、照明に浮かび上がる雪
を頂いた木々は、まるで不思議な何かのオブジェのように、様々な姿でそこここに聳えていた・・・

マントルピ−スに火が入っていた。
バイキング・ディナ−の後,少し食べすぎたかなと思った僕は、外をブラブラしたり、エントランスホ−ルの居心
地の良いソファ−に身を委ねたり、売店を冷やかしたりしていた。
部屋に戻ろうと思い,ロビ−ラウンジを横切ろうとした時,それが目に飛び込んできた。
薪が燃やされていたのだ。
昼間は火が入っていなくて残念に思っていたのだが,今は暖かい炎を湛えている。
窓の外には,綿菓子のようになった木が、ライトアップされて美しい。
色々な角度から火を見つめる。
「ここで本を読もう!」
決断すると急いで部屋に取って返し,北方謙三著「草莽枯れ行く(上)」を手にした。
左手にマントルピ−ス,右手にライトアップされた木。
それらを時々眺めやりながらペ−ジを捲る。
傍らには,湯気をたてるコ−ヒ−。
左の頬に心地よい熱さと,薪の爆ぜる音、崩れる音等を聞きながら、静かな雪国の時間が過ぎて行く。
森々と過ぎて行く。
部屋に戻ったら全ての灯りを消して,幻想的な雪の世界に入り込もう。
だって,こんな夜には、もう二度と触れる事等叶わないかもしれないのだから・・・

深夜,部屋の灯りを全部落して、僕は闇を見つめている。
濃いという表現がピッタリであろう,黒い闇。
まるで世界の時間が止まってしまったかのような風景が広がる。
音も全て雪が吸い取ってしまったようだ。
今宵はこの闇に抱かれて眠りたいと思う…

朝風呂に向かう。
半露天に行くと,朝の冷え込みがいかほどだったかを物語る光景に出会った。
あの水の溜まりの氷の部分がその勢力を拡大していたのだ。
そして新しい氷柱も多く見受けられた。
肌に感じる冷気は,昼間、夜、深夜、朝と、やはり違う。
これが早朝だったら,それこそ凄かったのではと溜息を漏らさずにはいられない。
風が変わる度に,湯気は様々な方向に舞い踊る。
僕の背中から前に走る湯気が,まるで一本の道を示すように天空に駆け登る。
その様は,まるで僕に、これから進むべき道を暗示しているかのようだ。

「あの空へ」

僕の目に,青と白のコントラストが眩しく映っていた。
新しい年が,確かに動き始めた。
そんな思いが満ちた瞬間だった・・・


2002/1/7  ベルナティオにて


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