海と空を刻んで


夏の終りに時計をなくした。

僕はよく腕時計を外す。
喫茶店に入った時や,海に出る時等に。
沖縄でシュノ−ケリングをする時も,水中カメラのストラップにつけて海に入っていた。
外した時の解放感が好きなようだ。
その日も自転車の前のカゴに入れたデイパックの持ち手の所に,ダイバ−ズウォッチをくぐらせていた。
そして国1を渡ろうと信号待ちをしている時に時間を確かめようとして,はじめて気づいた。
「えっ,嘘だろ」
動揺している僕を尻目に信号が青に変わる。
「とにかく海にでよう」
力強くペダルを漕ぎ出した僕は,ただひたすら海を目指した・・・

もう10年以上連れ添った時計だった。
最近確かに「そろそろ変えようかな」と思った事はあったのだが,それはT・P・Oに合わせて変えるという事で、
その時計がなくなるという事は考えてもいなかった。
ついいつもの癖で,「今は」と、左手首に目を遣ってしまう。
分っている筈なのに,何度も目を遣ってしまう。
携帯を時計代わりに数日過ごしてみたのだがどうもスッキリせず,やはり、ちゃんと気にいった時計を見つけ
るまでの間の代用品として安価なものでもいいから買おうと、地元のディスカウントショップに足を運んだ。
「これで充分だな」
と思える時計が目につき,「これにするか」と思った僕は、それでもせっかく来たんだからとショ−ウインドウを
全部覗いて見る事にした。
そこで出会ったのだ。
前にもどこかのショ−ウインドウで見ていたのかもしれない。
それは,他の時計にはない独特の淡い青を文字盤に湛えていた。
取り出して貰い,手に取り、腕に嵌めた瞬間、僕の気持ちは決まっていた。

その日から,僕の左手首には新しい相棒が住んでいる。
何と表現したらいいのだろう。
まるで海の碧と空の蒼,両方の色を溶け込ませて一つにしたような、淡い柔らかな色合い。
光の加減によって,角度によって、青の深さが変化し、まるで万華鏡のように、虹色の光彩を放つ事もある。
貝殻の艶やかさのようでもあるのだ。
今までのやつより,少しズシリと重いそいつに目を細め、レッツノ−トの青と、携帯の青との饗宴を眺めている。
「青には縁があるのかな」
そんな事を思いながらこれを打っている。

夏の終りに時計をなくした。
それは何かを暗示しているのかもしれない・・・


2002/9/3  茅ヶ崎「ドト−ル」にて


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