君はヒ−ロ−


 全てが「高橋直純」
そんな,A’LIVEだった。

しょっぱなから観客を巻き込んだ凄まじいボルテ−ジは,最後まで息切れする事なく、雄々しくステ−ジ上を
翔けぬけていった。
何曲目からだったかは忘れたが,バンドの紡ぎだす音と彼自身が完璧にシンクロし、時には激しく、時には
優しく包み込むようなサウンドシャワ−を気持ち良さそうに浴びながら、彼は己の魂を震わせながら歌を唄っていた・・・

「人柄」は,「唄声」に如実に表れると言われている。
それは勿論,「声」というものに内包されているという事と同じ次元なのだが。
しかし,それが100%ストレ−トに伝わるかといったら、それは「否」だろう。
だがそういう人間が,「ごく稀にいる」と僕は思っている。
その稀な人間を,僕は今回目の当たりにしていた。
「高橋直純」
観客との一体感であるとか,ステ−ジングの巧さであるとか、音が完成されているであるとか、メンバ−との
信頼感であるとか、その他ライブについて様々に語られるであろう「言葉」を纏った要素達。
「存在」がそんなものを超越してしまう瞬間。
飲み込むのではなく,圧倒するのではなく、一緒に「生きる」という感覚。
会場全体に満ちる「彼」というオ−ラ。
それは,あの人懐っこい笑顔に滲み出している、生来の「純粋」さに裏打ちされているようだ。

「ピュア」でいる事は難しい。
「ピュア」であろうとする事は,もっと難しい。

剥き出しの純粋さが,彼を、「高橋直純」たらしめている所以なのではないのだろうか。
そして「剥き出しの純粋さ」を,大人になった今でも、本人も気づかぬレベルで持ち続けている人間は、それほ
どいないのではないのだろうか。
嫌,殆どいないといっても過言ではないのかもしれない。
だから,彼から発せられる「無垢」なるものは、何の障壁もなく他人(ヒト)の心に染み込んでくるのだろう。

人は一瞬でも分り合う事が出来るが,いくら長くつきあっていても一生分りあえない事もある。
彼をステ−ジ上でサポ−トする仲間達の音も,また生きていた。
それは,レコ−ディングの時から一緒に過ごしてきたからといった、時間の長さ、付き合いの長さだけで測れ
るものでは決してない筈だ。
彼等もまた,「高橋直純」という人間に、男に触れ、自分でも気づかなかった何かを喚起されたのだろうから。

「はじめの一歩」
彼がステ−ジの前に進み出て,チョコンと飛んだ、ほんの30センチにも満たない短い距離は、心の距離
、それこそ「永遠」とも思われるものだったのだろう。
しかし,彼はそれを飛び越えた。
後は眼前に広がる野(や)に向かって歩いていくだけだ。
気がつくと,彼は既に走り始めているかもしれないのだが。

「高橋直純,君は、背中も見せる太陽で在り続けて下さい。
そのままの君が一番輝いていると思うから。
弱さも,強さも、脆さも、女々しさも、一杯一杯在りのままに出して下さい。
君を認めない人もいるだろう。
しかし君を認める人が一人でもいる限り,そのとびっきりの笑顔で、一歩一歩、そう、一歩一歩、足を踏み出し
続けて下さい。
A’LIVE,少し俯き加減で、はにかみながら君が言った、ライブを「生きたい」というこの言葉。
その思いは,そこに集った全ての人達の心に響き渡ったと思います。
そしてその音色は,いつまでも、いつまでも、色褪せる事はないのでしょう」

そう,君と同じように、いつまでも、いつまでも・・・


高橋直純〜A’LIVE〜(2/2・赤坂BLITZ・)に寄せて

2003/2/3 自宅にて


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