ある冬の日に・・・ |
目の前に冬の海が広がっている。 眩い程の陽射しに照らされ,海面は今の季節の青に染まっている。 風は右から左へ。 思ったよりも寒さは感じず,二杯目のコ−ヒ−は、海の音に包まれながら、テラス席でと思っていた。 先程実は一度テラスに出てみたのだが,高めの柵が視界を少し遮るので、景色を楽しむのは、中の席か らの方がいいようだ。 ここからだと、大きく取られた、殆ど全てが一枚ではないかと思える窓硝子越しに、刻々と変わる陽と海の コントラストを楽しむ事が出来る。 食事を摂っていると,前の席のおばあさんの声が聞こえてきた。 「これ,高そうな味だねぇ」 先程からおばあさんは,盛んに「高そう」という言葉を繰り返していた。 確かに,ここは「高そう」に見える場所であるし、値段設定は、まさにこういう場所だからというものである。 見るとはなしに目を遣ると,おばあさんの前のそれはカレ−ライスで、盛られたご飯は、サフランライスのよう であった。 食していないので,それが本当にサフランライスなのか、ただ色を付けたものなのかは分からないのだが、 おばあさんは,どうやらそれを知らないようだったのだ。 そこで僕の脳裏にふと浮かんだのは,「知っている」事が偉い事ではないし、「知らない」事が、恥ずかしい 事ではないという事だった。 「知っている」「知らない」というのは,まさに字の通りの意味でしかないのだ。 「何だサフランライスも知らないのか」 と,以前の僕ならきっと思っていただろう。 そこには少し馬鹿にしたニュアンスを含ませて。 しかし・・・ 人は知らない事が多くて当たり前なのだ。 他人(ヒト)から教わる事もあるだろうし,ふいに気ずかされる事もあるだろう。 知らない事は決して恥ずかしい事ではないし,知っている事で、それを知らない人間より優れているとは 思えない。 知らない事は知らないと,キチンと言える人間で在りたいと、その、おばあさんの言葉を聞きながら思っていた。 おばあさん達は,実に楽しそうだった。 喜怒哀楽の根本を見させていただいているような気分になっていた。 「色んな枷が多すぎるな」 それは,あまりに自分の内にも外にも、膜を貼りすぎるからなのだろう。 そして,その膜は、いつのまにか無意識にも貼られてしまっていて。 そう,つまらない「プライド」がいかにも多く、大きくなりすぎているのだ。 まるで皮下脂肪のように,纏わり付いているのだ。 そんな事を考えている内,無性に外の風に吹かれたくなってきた。 「こういう時は,海風に身体を洗われるべきだ」 本能がそう告げている。 テラスへ出ると,「気持ちいいな」と呟いていた。 これでいいのだ,これが人(ヒト)なのだと、僕は思っていた。 一遍の小説と,一杯の珈琲。 夕陽は,ただ、ただ、眩しく、風は、どこまでも、優しかった・・・ 2004/1/12 14:05 小瀧美術館内「Caffe Angeli」にて 目の前に冬の海が広がっている。 眩い程の陽射しに照らされ,海面は今の季節の青に染まっている。 風は右から左へ。 思ったよりも寒さは感じず,二杯目のコ−ヒ−は、海の音に包まれながら、テラス席でと思っていた。 先程実は一度テラスに出てみたのだが,高めの柵が視界を少し遮るので、景色を楽しむのは、中の席か らの方がいいようだ。 ここからだと、大きく取られた、殆ど全てが一枚ではないかと思える窓硝子越しに、刻々と変わる陽と海の コントラストを楽しむ事が出来る。 食事を摂っていると,前の席のおばあさんの声が聞こえてきた。 「これ,高そうな味だねぇ」 先程からおばあさんは,盛んに「高そう」という言葉を繰り返していた。 確かに,ここは「高そう」に見える場所であるし、値段設定は、まさにこういう場所だからというものである。 見るとはなしに目を遣ると,おばあさんの前のそれはカレ−ライスで、盛られたご飯は、サフランライスのよう であった。 食していないので,それが本当にサフランライスなのか、ただ色を付けたものなのかは分からないのだが、 おばあさんは,どうやらそれを知らないようだったのだ。 そこで僕の脳裏にふと浮かんだのは,「知っている」事が偉い事ではないし、「知らない」事が、恥ずかしい 事ではないという事だった。 「知っている」「知らない」というのは,まさに字の通りの意味でしかないのだ。 「何だサフランライスも知らないのか」 と,以前の僕ならきっと思っていただろう。 そこには少し馬鹿にしたニュアンスを含ませて。 しかし・・・ 人は知らない事が多くて当たり前なのだ。 他人(ヒト)から教わる事もあるだろうし,ふいに気ずかされる事もあるだろう。 知らない事は決して恥ずかしい事ではないし,知っている事で、それを知らない人間より優れているとは 思えない。 知らない事は知らないと,キチンと言える人間で在りたいと、その、おばあさんの言葉を聞きながら思っていた。 おばあさん達は,実に楽しそうだった。 喜怒哀楽の根本を見させていただいているような気分になっていた。 「色んな枷が多すぎるな」 それは,あまりに自分の内にも外にも、膜を貼りすぎるからなのだろう。 そして,その膜は、いつのまにか無意識にも貼られてしまっていて。 そう,つまらない「プライド」がいかにも多く、大きくなりすぎているのだ。 まるで皮下脂肪のように,纏わり付いているのだ。 そんな事を考えている内,無性に外の風に吹かれたくなってきた。 「こういう時は,海風に身体を洗われるべきだ」 本能がそう告げている。 テラスへ出ると,「気持ちいいな」と呟いていた。 これでいいのだ,これが人(ヒト)なのだと、僕は思っていた。 一遍の小説と,一杯の珈琲。 夕陽は,ただ、ただ、眩しく、風は、どこまでも、優しかった・・・ 2004/1/12 14:05 小瀧美術館内「Caffe Angeli」にて |
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