ゼロ ヨン ロク ナナ |
もう一度携帯を手に取り,道順を教えていただく。 その路地の入り口に,目指す店の小さな看板が佇んでいた。 そう,まさに「佇んでいた」という形容がピッタリだったのだ。 玄関を入り踏み石を行くと,写真で見た光景が広がっていた。 「いい・・・」 心の中で思わず呟きながら,広く取られたガラス扉を開ける。 大きな木造のカウンタ−に少し圧倒されながら,右端の椅子に居を定める。 このカウンタ−は,厚く、幅・奥行きとも、ゆったりととられており、気持ちを非常に落ち着けてくれた。 カウンタ−内は一段低く造られていて,その理由(わけ)は、客の目線と同じになるようにしてあるのだと スタッフが話してくれた。 客を見下ろす事にならないようにと。 酒瓶が並んだ棚の,僕から見て左斜め前辺りに、古酒が一本。 「古酒もあるんですねぇ」と,スタッフに聞くと、「ええ、古酒がお好きなんですか」「ハイ、沖縄が好きなもの ですから」「そうなんですか、僕は以前沖縄に二年程住んでいた事があるんですよ」「どちらにですか・・・」 と話に花が咲き、「ここに一本だけ置いてある「春雨」という八年古酒は、あまり手に入らないようでして、 貴重らしいですよ」と教えてくれた。 そして,あまり癖がなく飲みやすいらしいのだ。 店内を何度も見回す。 天井や上部の壁を見れば良く分かるのだが,ここが昔からある家屋を出来るだけそのまま使っていて、 心地の良い空間を形成しているのだという事が。 テ−ブル席も程よい位置感覚で配されており,何か懐かしい温もりに包まれているような、木の優しさに 抱かれているような、そんな不思議な思いに浸らせてくれていた。 床は敢えてコンクリにしてあるのにだ。 椅子は,奥の二段程高くなった場所にある、ソファ−席と、庭にあるテラス席(ソファ−)を除いて、全て籐 で、座り心地はとても良い。 ダイニングタイムにも是非訪れたいと考えていた。 住宅街の中にある為,クロ−ジングタイムは22時と少し早めなのだそうだ。 店を辞する前,オ−ナ−とも少し話しをする事が出来た。 HPをたちあげようとしているところだが,どこのウェブチ−ムに頼んだらいいのかと悩んでいるそうなのだ。 そんな話をしながら,「また来ます」と腰を上げる。 陽は傾きかけ,少しヒンヤリとした風が僕を巻いて吹き過ぎる。 「ここには何度も足を運ぶだろう」 確信にも似た思いを抱きながら,駅へと歩き出す。 一度だけ振り向く。 あの小さな看板が,佇んでいた。 黄昏時の,時が止まったような空気の中、その様は、何か誇らしげに僕の瞳には映った。 と同時に,あのカウンタ−で「春雨」のグラスを口に運ぶ自分自身も映っていた。 「さて,いつ来ようかな」 その時、沸き起こった右手の小学校の校庭からの歓声が,僕の声をさらっていった。 まるでその声を取り戻そうとするかの如く,僕は大きく深呼吸を一つ。 声の行方が知りたくて,僕は暫く空を見上げていた。 飛行機雲が薄くたゆたっている。 他の雲はまるで,ピンで大空というキャンバスに留められているようだ。 暫くして,僕は歩きだすだろう。 再び,ここに来る為に。 再び,この時間に、この雰囲気・空気に会う為に。 そして,そこに残る事を由とした、もう一人の、己自身に、会う為に・・・ 2004/1/29(木)15:28 茅ヶ崎市美術館内「喫茶・Pino」にて |
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