「ラウンドするばい!!」〜ダンド−徒然日記〜(其の六) |
〜ダンド−と一緒〜 「中原さんはゴルフはしないんですか?」 「うん,俺はしないかなぁ、でも見るのは好きだから、ル−ルなんかもTVで憶えたかなぁ、そう言えば 小学生の頃、ジャンボ尾崎のチャレンジゴルフっていう番組があって・・・」 いつもの飲み屋で皆と飲んでいる時,そんな話になった事があったのだが、僕は不覚にも忘れていた のだ。 そう,僕には確かにゴルフに触れていた時期があった。 あれは小学生から中学生になろうとしていた頃だったように思う。 叔父さんがゴルフ好きで,近くにある打ちっ放しの練習場に、僕をよく連れていってくれていたのだ。 身体も小さく,力もなかった僕は、いつもクラブに振り回されていた。 特にドライバ−ともなると,飛ばされてしまうんじゃないかと錯覚していた程だった。 ただ練習を重ねるにつれ,だんだん打てるようになってきた。 すると叔父さんは「そろそろコ−スを周ってみようか」と誘ってくれたのだ。 その練習場には,全9ホ−ルのショ−ト・ショ−トホ−ルが併設されていたのだ。 一番長くても100ヤ−ドを少し超えた辺り,110〜130ヤ−ド位だったように思う。 持つクラブは3本。 9番と,サンドウェッジと、パタ− 僕はそのコ−スを周る事を毎回楽しみにしていた。 得意だったのはサンドウェッジで,好きなのはパタ−だった。 じゃあ9番はどうだったのかというと,コ−スの性格上、殆ど使う場面がなかったのだ。 だから変わりに,ピッチングウェッジを持つ事もあったのだが、非常に非力だった僕には、どうしても 9番じゃないと届かないホ−ルが一つあり、9番はやはり手放せなかったのだ。 しかしどうして,3本しか持っていかなかったのか。 別に「使えるクラブは3本だけ」と言われていた訳ではないのに。 「暫くしたら本当のコ−スに出てみるか」 と叔父さんに言われていたのだが,何時の間にかゴルフからは遠ざかり、テニスをするようになって いったのだ。 これも又叔父さんの影響なのだが。 そして僕はテニス(軟式)にのめり込み,中学に入ると迷わずテニス部に入部していたのだ・・・ 「3本て,ダンド−達と一緒だったんじゃあないですか」 「ねぇ,本数だけは一緒だったねぇ」 記憶の底から突然立ち上がった「偶然」という産物にグラスを傾けながら,「俺も続けていたらダンド− のようになれただろうか・・・」等と空想に耽りながら、「あっ、でも俺には魔物が見えなかったから駄目 だっただろうな」と一人ごち、また仲間との取り留めのない会話の海に身を沈めていくのだった。 「そういえば,この前さぁ・・・」 今度はどんな記憶が僕の前にフイに現れるのだろう。 夜はまだまだこれからだった・・・ 2004/6/28(月)15:29 「0467」にて PS:「ダンド−」とは,この時僕がレギュラ−出演していた、ゴルフアニメ 「DANDOH!!」の事で、この「ラウンドするばい!!」は、そのAR現場やそ の他諸々の事を赤裸々(笑)に語った、フィクションとノンフィクションが入り混 じった、掲示板に不定期連載されていたものなんです・・・ |
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