青空のピアノ


久しぶりにライブに行った。
ササマユウコさんのピアノを一度生で聴いてみたかったので,その願いがやっと叶ったという訳だ。
恵比寿ガ−デンプレイス内,恵比寿麦酒記念館・銅釜広場で行われたのだが、やはり生で聴くのは全然
違った。
そこは別にコンサ−トホ−ルでもなく,イベントスペ−スに使っているただの空間なので、周りには様々な
雑音が渦巻いている、それも反響してうるさい位に。
「こんな所でピアノの音がちゃんと届くのだろうか?」
席に付いて真っ先に思ったのがその事だった。
開演までの10分程,僕は目を閉じ、静かにその時を待っていた。
やがて,ササマさん登場。
前に一度,サイトに写真が載っていた事があり「そうそうこの方だ」と「何か思った通りの方だな」と、
初めての邂逅を密かに喜んでいた。
ササマさんからの挨拶と,曲名の紹介の後、演奏開始。
「・・・・・」
音は届いてきた。
確実に届いてきたのだ。
それも周りの雑音を切り裂くようではなく,溶け合い、たゆたうように。
途中でもササマさんは仰られていたのだが「周りの音と一緒に溶け込むような演奏を心掛けているんです」と。
そして思っていた。
ピアノは素人の僕でも聞いた事のある名器「スタインウェイ」年代は1920年製だと言う。
いつも何人かのピアニストが時間毎に弾いているようだったが,インタ−バルの間は誰でも触れる事が出
来るらしく、素人の人も音を出したりしていた。
中には,ある程度弾いて「凄いよ、何か巧くなったような気がするし、ピアノが弾かせてくれるんだ」と言って
いた方がいたのだが、ササマさんの演奏を聴き始めて「そうじゃないんだ」とすぐ気がついた。
このピアノは弾く者を選ぶのだと。
先程の方は「音」を出す事さえ出来ていなかったのだという事を。
それほどの「違い」を僕は感じていたのだ。
そして聞こえる「音」と,聞こえない「音」、両方が寄り添いながら紡がれているのか否か。
これはどの世界にも当て嵌まる事であり,テクニックの問題ではない。
もし「テクニック」を声高に叫ぶ人がいるのであれば,ピアノなら「超絶技巧」の域には達しているべきだろう。
ササマさんはご自分の事を「いつまでもヘタのままなんだろうな」と仰っている。
でも,そんな事はない。
誰にもだせない「音」を,ササマさんは届かせる事が、人の気持ちに染み込ませる事が出来るのだから。
だから,一般的な意味ではなく、ササマさんは「ヘタ」ではないのだ。
全11曲。
最後の曲は,僕も好きな「空ノ耳」
余韻さえ雑音に埋もれず,空間の中に溶け込んでいった・・・

そうなのだ,その「音」がしっかりとした「芯」をもっていれば「魂」を内包していれば、雑音に掻き消されたり、
埋もれてしまう事などないのだ。
演奏が終わった後,ササマさんにご挨拶をと思い声を掛けさせていただいた。
「普段は作曲活動が多いので,こうやって人前で演奏するのは苦手なんですよ」と,少し恥ずかしそうに
仰っていた。
そして「このピアノは手強いんですよ,今回3回目でやっと性格が掴めてきたかな」と話して下さった。
またの再会を約束し,その場を離れる。
次の奏者の知人らしき男性(多分50代)が,弾き始めていた。
「音」を確かめるように,ピアノを確かめるように弾いているようだった。
巧いのだろう,この方は素人の自分には分らないが、自信も持っているに違いない。
しかし・・・
「ピアノが他人(ヒト)より巧く弾ける」だけなのだろう。
音の響きは似ていても,同じではなかった。
それが本当は何によって分けられるのかなど,僕は未だに分っていないのだが。
多分一生分らないままなのだろう,とも思う。
でも,分らないけど、分るのだ。
自分の琴線に触れる「音」と触れない「音」は。

今日は空が高く綺麗だった。

こういった青空の下で,ササマさんのピアノを聴いてみたいと思った・・・


2004/9/20(月)1:33  自宅にて


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