縁(えにし)吹く街角で |
「ここか・・・」 狭い階段を上り,ドアを潜る。 13:00過ぎ。 店は12:00オ−プンの為か,まだ他に客の姿はなかった。 「花影抄(はなかげしょう)」 それがこの店の名前だった。 入った左奥,硝子で仕切られたスペ−スがギャラリ−となっているようだ。 席に着き注文を済ませた僕は,早速ギャラリ−に足を踏み入れた。 この店では,美味しいお茶(日本茶・中国茶などが中心)がいただけるようだ。 ササマユウコさん(ピアニスト&作曲家)のCDジャケット,それもウェブ上の写真でしか見た事がなかった 作品が、壁に掛けられている。 空間には,ササマユウコさんの曲が、ご自分で持参され、セッティングされた無垢木の可愛らしいスピ− カ−を通して溢れている。 最初は「天井にもスピ−カ−があるのか?」と訝っていたのだが,やがて全ての音がこのスピ−カ− から送り出されているのだという事実を知った時、僕は少なからず感動していた。 木口木版の作品を一通り見て周る。 中央のテ−ブルにはご自身で作られたという「絵本」とササマさんのCDと作品で使用された木版が。 もう一度,作品達を見遣りながら、僕は思っていた。 「どれかを購入しよう」と・・・ 「もう,おばあちゃん、どこまで話すのよ!」 周りには笑いが溢れていた。 僕は,小平彩見(こだいら・さいみ)さんのおばあちゃんに、御家族の様々な話を聞かせていただいてい たのだ。 この日,この個展には、小平さんの親戚の方々が集まっていた。 たまたま来ていた親戚の方々にも僕は紹介していただき,楽しい一時を一緒に過ごさせていただいて いたのだ。 身内に有名になったミュ−ジシャンがいて、おじいさんは若い子に会う度に「〜を知ってるか?」と聞く そうだ。 僕は「知ってますよ,若い子ならみんな知ってるんじやないですか?」と答え、おじいさんは満更でも ない表情を浮かべていた。 おばあさんの話はそれこそ湯水の如く途切れる事がなく,小平さんの御両親の馴れ初めにまで至った 時「もうどこまで話すのよ!」と小平さんが笑いながら言っていたのだ。 その内,おじいさんが作品を一点購入したいと,ギャラリ−に向かった。 小平さんは一点づつ説明をしていたようだったのだが,やがておじいさんはある作品に決めたようだ。 「足らない,足らない、こう、熱いものが、とか、祖父の言う事はよく分らなくて」と苦笑する小平さん。 聞けば,おじいさんは「絵」に携わる仕事をされていたようで、御自分でも描かれていたらしかった。 笑い声の絶えない楽しい時間が過ぎ,親戚の皆さんが帰られると、店は本来の持つ静けさを取り戻し ていた。 「スイマセン,初対面なのに」 「いえ,僕も楽しかったですよ」 何か僕は久しぶりに,懐かしい「家族」という形に触れたような気がしていたのだ。 それからも僕は,小平さんと様々な話をさせていただいたのだが、中にこんな話があった。 家の近くに「この人は一体何をやっている人なんだろう?」と,5年近くも疑問を抱いていた人が居たそう なのだが、或る日思い切って聞いてみたら、何とその人は「竹細工職人」で、それもその世界では相当 有名な方だったらしいのだ。 そして,店に置いてあったその人の写真入の記事を見せていただいたのだが、全然職人っぽくないのだ。 と,そんな話をしている時、その方が駆けつけて来た。 「あっ,この方です」と小平さん。 時間があまりないらしく,その方は急いで作品を見始めていた。 小平さんと親しく言葉を交わしながら,所々感想を挟みながら、その間、10分もなかったのではないだろ うか。 「御免ね,あまり時間がなくて」 「いいえ,ありがとうございました」 「それじゃあ,失礼しました」 と,僕にも挨拶をされて、まるで旋風(つむじかぜ)のように帰られていった。 「ねぇ,職人さんに全然見えないでしょう。でも驚きました、凄いタイミングでいらっしゃったので」 「ホントですねぇ」 本に載せられている,その方の作品に目を移す。 その写真からだけでも,確かな「職人」の息吹が充分に感じられていた。 最近「職人」と呼ばれる人達は確かに減っているようだ。 僕が時々訪ねる,アルミで車をレストアする工場のオヤジさんも言っていた。 今はオ−ダ−メイドというのは高級なものとして捉えられがちだが,職人が当たり前に存在していた時代 にはそんな事はなかったのだと。 その工場のようにアルミを扱うところというのも,全国でも本当に僅かになってしまったようだ。 僕はそこに,アルミとレザ−で造られた鞄を、時々、注文しに訪れているのだ。 オヤジさんが考え,造り始めたその鞄達は、段々有名になり、都内や海外からもバイヤ−が訪れる ようになったという話だが、どれも断っているという事だった。 「今のペ−スで造るのがちょうどいいみたいなんですよね」と仰って。 買う側・僕としては,その場所に行かなければ現物を拝めず,購入出来ないという方が嬉しかったりす るので、そのお話を聞いて安心していたものだ。 そんな事を話しながら,僕は小平さんに「職人に憧れているんですよねぇ」と語りかけていた。 しかし,職人になるのは並大抵な事ではない。 確かな「技術力」と,何事にも揺るがない強靭な「意志力」が必要不可欠となるからだ。 プラス,それだけの「覚悟」が自分にあるのか否か・・・ 小平さんとまたの再会を約束して,僕は「花影抄」を後にした。 お互い,全く違う場所で、ササマユウコさんのCDを手に取り、そしてこうして知り合う事となった二人。 この不思議な偶然に,僕は、人と人との縁(えにし)というものに、思いを馳せずにはいられなかった。 そして来年早々,僕はまた、そのササマさんを介して、あるア−ティストの方と知り合う事となる。 そういった,ささやかかもしれないが「人の輪」というものを大切にしなければ、とつくづく思った。 その出会いから,新たな創作の翼をはためかせる事が出来れば、とも思った。 そんな思いに浸る僕の背を、夕暮れ時の街を,一陣の風が吹き抜けて行った・・・ PS:文中に登場する,小平さんのお祖父さんが、あの後、急に体調を崩し、御年(おんとし)90歳で、 まるで急ぐように他界されてしまわれたとの事でした。 ここに謹んで,故人の御冥福をお祈りいたします。 2004/12/31(金)16:00 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて |
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