コト−を捜して


 夕焼けのオレンジ色が,店の中、全てを照らしている。
その中で,僕の打つレッツノ−トが鮮やかな光沢を放つ。
何故自分は今回の直筆「ブル−スカイ黄昏を映さず」を書いたのだろう。
本来なら書くべきものではなかった筈なのに。
なら何故書いたのか。
それは・・・それは、あの最上階である9階から望んでいた江の島の様と、真っ青な空とのコントラストが
あまりにも強烈であり、その情景をどうしても伝えたかったから・・・といった事が一つ言えるのかもしれ
ない・・・

僕の好きなバンド「チュ−リップ」の歌に「ブル−スカイ」という歌がある。
その中の歌詞に「この空の明るさよ、何故僕の悲しみ映してはくれない」という一節があり,僕は様々な
悲しい事柄があった時には、必ずこの歌を空に向かって口ずさんでいた。
というよりも,自然に零れてきていたのだ。
メロディは軽やかで,財津さんのボ−カルは明るく優しく澄み渡り、コ−ラスと共に、人生の素晴らしさを
謳歌しているような楽曲なのだが、そこに「詩」が載せられると、世界は一変する。
あまりにも悲しすぎるのだ。
悲しすぎるが故に,空はどこまでも高く、蒼いのだ。
「僕ならこの感覚をどう言い表すだろう」
今回の直筆のタイトルを,この感覚の中から生まれさせたいと考えていた僕は、そう毎日のように考えて
いたのだ。
そして或る日,仕事に行く途中、東海道線のホ−ムでふと口をついて出た言葉が「ブル−スカイ黄昏を
映さず」であった。

「病を診るのではなく,人を診るんだ」
これは僕の大好きなコミックでもありドラマ化もされた「Dr コト−診療所」の中で,原作者である山田先生
が,主人公のコト−に語らせている言葉だ。
自分の父が,助からないであろうと宣告された時、この言葉は、ただの言葉としてではなく、現実という
残酷さを纏った肉声として、僕の心に深く切り込んできたものだ。
つい数分前までは,微塵にもそんな風に感じる事などなかったのに。
このような状況に自分が置かれるなど,思いもしなかったのに。
そして「不条理」というものも「命」を前にさえ,存在するのだという事を知った。
それは多分「他人事」だからであろう。
自分もそうであったように。
診るのが「肉親」であれば「マニュアル」がどうのと言っていられないのではないだろうか。
「患者さんはみな同じだ」
と言われる先生は多いかもしれない。
しかし,そんな「言葉」は僕には信じられないのだ。
信じられる筈がないのだ。
あの大病院で,あのような経験をした今となっては。
「命」とは重たいものではないのか・・・
一つしかない,かけがえのないものではないのか・・・

コト−は,在り得ない位、色々な事に、特に、人に対して「誠実」だ。
そして,多くの人が「こんな先生がいてくれたら」と「でも、こんな先生は現実にはいませんよね」と言うの
だが、僕はそうは思わない。
コト−は,先生と呼ばれる人間として、当たり前の姿を示しているのだ。
「あれは,漫画でドラマだから」
違うのだ,あれは「理想」を描いているのではないのだ。
もしかしたら,その存在は、一握りもいらっしゃらないのかもしれないが、「命の重さ」を忘れず、「人」と
「誠実」に向き合っている先生は、確かに「存在」するのだ。
本当は,そういう方が殆どでなければいけない筈なのだ。
「先生」と呼ばれるに値する人間でなければいけない筈なのだ。
「先生」と呼ばれる「重さ」をしっかりと感じている事が出来る人間でなければいけない筈なのだ・・・

今,この瞬間にも、新たな「命」が生まれ、または、その灯火(ともしび)を燃え尽きさせようとしている方が
いるかもしれない。
「コト−を捜して」
これは特別な事ではないのだ。
どこにでも,コト−はいるのだ。
ちゃんと「人」を治してくれるのだ。

もし己が病に倒れ,治療の甲斐なく「死」を迎えたとしても。
「コト−」のような方に診とっていただけたならば,「心」もしっかりと旅立つ事が出来ると信じたい。

コト−は居る,きっと居る、ほらっ、貴方の隣にも・・・


2005/1/9(日)13:23  自宅にて


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