往く雲の如く 【レザ‐を巡るエッセイ&スト‐リ‐】


〜ameno spazio〜

「ペットボトルホルダ−」「アタッチメントバッグ」「シュ−ホ−ンカバ−」「カップ&ソ−サ−カバ−(巾着タイプ・トラベル用)」
「デスクマット」「ブックカバ−(風呂敷タイプ・ハ−ドカバ−用)」「ガム&アメケ−ス」「雪メガネ専用ケ−ス」(ショ−ト
エッセイ・茅ヶ崎に降る雪2005・参照)「イヤホンケ−ス」「オ−ディオバッグ」・・・

今迄に,僕は仲垣君(レザ−職人・アメノスパジオ代表)に、上記の完全オリジナルオ−ダ−メイド品を創ってもらってきた。
実は今,これまでで最大級の或る物の制作に彼には取り掛かってもらっている。
それは誰もが知っている物を,まだ誰も見た事がない物へと昇華させる作業と言えるのかもしれない。
シンプル且つ,ハ−ド且つ、機能的。
最近の自分は,雨の日でもガンガン使える(気分として)レザ−アイテムを探していた。
今回彼にオ−ダ−した品は,その中でも「中核」を成す、大事な「逸品」になると僕は確信しているのだ。
ちなみに彼にオ−ダ−しようと思っている品は、それこそ尽きる事なく僕の頭の中から溢れ出てきて,
嬉しい悲鳴を挙げさせ続けてくれている。
そんな,僕にとっての「心地の良い空間」を創り続けてくれている彼と知り合ってから、実はまだ日が浅い。
一年位のものだろうか。
昨年の10月には「是非来ていただきたいです」と,彼の披露宴にも招待されたのだ。
それを考えると,僕がどれだけ短時間の内に「オ−ダ−」というものに傾倒していったのかが分るというものだ。
そして確かな事は,彼と出会わなければ、僕はこれ程迄に「オ−ダ−」というものにのめり込まなかっただろう。
彼は彼で,職人として、「作品」に感応し、購入してくれる「顧客」が必要であったろうし、僕は僕で、彼に対して
何か自分と相通ずるものを感じとっていたのかもしれないのだ。
勿論,短期間にこれだけ濃い間柄になったのは、俗に言う「馬が合う」「惹かれあった」という表現がフィットするのかも
しれないのだが、それだけでは計れない、もっと根源的な部分でお互いが「触発」され合ったのではないのかと僕は思っている。
仲垣君に限らず,様々な分野の「職人」と呼ばれる人達と知り合うにつれ、触れ合うにつれ、僕の心は潤いで満たされて
いくかの如く豊かな心持になり、充実した時間を「生きている!」と実感出来ているのは確かな事なのだ・・・

ファクトリ−の急な梯子を上ると,その二階部分が、彼・仲垣君の仕事場だった。
初対面の挨拶もそこそこに「これは凄い,このアルミ部分は絶対見せた方がいいですよ」と彼が目を輝かせて、
僕の持つ「エアロコンセプト」のバッグを見つめていた。
電話では,全てに革を被せて欲しいと話していたのだ。
そこから彼の頭は目まぐるしく回転を始めたようで,僕がテ−ブルに出した小物達を前に「こんな感じはどうでしょう?」
と、デッサンを開始し、どう収納すれば一番いいのかやポケットの留め方など、大まかな構成案はその時点で
整えられていったのだ。
後は使用する革の話をし,色合いや質感、その他諸々については(今迄の過程を踏まえ)、彼に一任するという形で
その日の打ち合わせは終えていた。
僕のオ−ダ−の遣り方は,全てを自分で決めてただ創ってもらうのではなく、ある程度話合い、僕の思考や嗜好、
性格など人間性を、朧でも掴んでもらった上で相手に委ねるという手法を取っている。
僕と違う「センス」の発現を楽しみに待つといったところだろうか。
その職人がどの位の技量を持っているかというのはとても重要なファクタ−だとは思うのだが,一番は、どれだけ
顧客の人となりを感じる事が出来、相手の立場に立った「物づくり」が出来るか否かではないだろうか。
いくら素晴らしい技術を持っていたとしても,相手の「何か」を感じるハ−トが、歪んでいたり、埃にまみれていては、
ただの宝の持ち腐れだろう。
色々なショップを巡り,様々な有名・無名ブランドの「物」に触れる度にスタッフから聞くのは「縫製はしっかりして
いますので」といった言葉だったりするのだが、しかし僕は「そんな事は当たり前でしょう」と思っているのだ。
職人と呼ばれる人間が技術がしっかりしているのは言わずもがなの事なのだと。
「形」ではなく「思い」を具現化出来るのか。
そこに,プラス、創り手の「何かしら」の魂が篭っていれば「物」はただの物体ではなく、かけがえのない、一生を共に
歩んでいける、大切な「パ−トナ−」に成り得る筈なのだ。
僕にはそんな「パ−トナ−」が沢山いると自負している。
仲垣君オリジナルの物だけでなく,今迄に購入してきたレザ−達しかり。
皆,僕に「何か」を語りかけてきていたのだ。
「音」としてではなく,潜在意識のレベルで。
理屈ではなく「魅かれる」というのは確かにある。
着ていく内に「その人の物になっていく」とか「馴染んでいく」というのは良く言われる事ではあるが,僕は「羽織った
刹那自分の物になっている」という感覚は、少なからず「在る」と信じている。
これは身に纏う,触れる物全てに対して言えるのだが。
そして僕は,それは当たり前にしていけると「密かに」確信に似た思いを抱いたりしているのだ・・・

「完成しました」の報を受け,僕はいそいそとファクトリ−を目指した。
「これです」

「・・・・・」

「・・・仲垣君,これは傑作だね!」と,目の前のテ−ブルに鎮座する「世界に一つしか存在しない自分だけの鞄」を
見つめながら、僕は少々興奮気味に、尚且つ愛おしげに、両手で捧げ持ちながら、右手・左手と持ち替えながら、
しげしげと盛んに、それこそ全方位から眺め回していた。
選定した革の事,縫いの事、染めの事、一度失敗した事など、彼の報告を聞きながら、僕はその「アタッチメントバッグ」
から目を離せないでいた。
そしてこの鞄で僕は確信したのだ,彼も「職人」に成るべく生まれてきた人間なのだという事を。
(僕はこの時点で,購入しようと考えていた鞄も含め、全ての鞄に対して一時買い控える事を決断していた。それだけ
この鞄が素晴らしかったという事なのだが)
以前に(彼について)触れたものと併せて「センス」と「自分に妥協しない強い心」を,仲垣君は高いレベルで内包
しているようなのだ。
「妥協」とは,これから「商売」を進めていく上で、何かしらの折り合いをつけていかなければならないかもしれない。
ただ「妥協」と言っても,全てをマイナスイメ−ジと捉えてはいけない。
「妥協」した事によって見えてくる新しい展開もある筈なのだから。
何を引き,何を足すのか。
それは決して後ろ向きな考えではない。
決められた範囲内で,それ以上の物を創り上げる為に試行錯誤を繰り返し「顧客」にとってのベストの道筋を探し続ける。
「バランス」感覚に優れている人間は「センス」にも優れたものを持っていると僕は思っている。
その「物」だけではなく,それを持つ人とト−タルに考える事が出来るのか。
「空気感」をも捉えられる者こそが,真の「職人」と呼ぶべき、ある域に達する事が出来るのかもしれない。
これは僕等の仕事にも言える事なのだが・・・

「・・・その鞄,凄いですね!」
もう何度,この「アタッチメントバッグ」にこのような言葉を掛けられただろう。
様々なショップを訪ねる度に,男女問わず、スタッフから感嘆の声が上がった。
「ありがとうございます,これは実は・・・」
僕は多分,今日もどこかの街の片隅で「オンリ−ワン・バッグ」片手に、仲垣君の名刺を(勿論、彼自作の名刺入れから)
差し出しながら、流暢に滔滔と会話を進めているかもしれない。

それこそ,少年のように・・・




2006/5/15(月)17:17〜5/26(金)17:14 茅ヶ崎スタ−バックスにて


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