海に往かない日


ここ数年,いや、十数年で初めての事だった。
毎年あれ程焦がれていた海に一度も往かなかったのだ。
夏の呼び声を聞く頃から,毎年海への渇望に襲われ続けてきていたのだが,今年はそれが起こらなかった。
一番暑い8月は,仕事的には相当に暑い日々であったが、プライベ−トでは淡々とした時間が過ぎ去っていっていた。
この季節に陽焼けをしていない自分など想像もしていなかったので,何かとてつもなく大きな忘れ物をしてしまった
かのような気分に襲われ、サイクリングロ−ドを、江の島の佇まいを、何度も何度も憶い返していたものだ。
その変わりと言っては何だが,初めて間近で観賞した横浜の花火の、迫力と雄大さに圧倒され、手持ちの線香花火には、心が懐かしくも優しい気持ちに包まれていたのは確かだ。
少し補足をしておくと,僕がここで言う「海」とは、地元の茅ヶ崎から江の島までの範囲と、沖縄の事だ。
以前は違う海にも足を伸ばしたりしたものだが,結果的には、ここ数年、海沿いのサイクリングロ−ドを走る事が、
夏を最大限に感じる事が出来る、自分的な風物詩になっていたようだった。
滴る汗,照りつける太陽、海風の心地良さ、空を往く雲の白さ、風さえも青いと錯覚する程の空の蒼さ・海の藍さ、
砕ける波、キラキラ輝くボルヴィックシャワ−の雫・・・
大好きなポイントから臨む,海・烏帽子岩・江の島・カモメ・サ−ファ−・釣り人・名もなき小さな花・・・

サイクリングロ−ドに入り,左折して走り始めて少し行ったところの直線。
そこで僕は必ず「ただいま」と呟く。
帰りはサイクリングロ−ドから海岸通りに抜けるいつもの道の手前で,江の島の方を見ながら「また来るよ」と
呟き,後ろ髪を引かれながらもペダルをゆっくりと、そしてしっかりと漕ぎ出す。

「こんな夏もあるよな・・・」

そんな事を思いながら東海道線のホ−ムに降り立つと,汐の香りに包まれた。
その,いつもより濃い香りを胸一杯に吸い込むと、何故か珈琲が飲みたくなっている自分がいた・・・



2006/9/11(月)17:11 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて


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