君の名は



毎年その香りを嗅ぐと「またこの季節が来たのか」と,何だか懐かしい気持ちに包まれたものだ。
夏との端境期を終えようとする頃,唐突にそれの香りが鼻腔に溢れ「もう夏は眠りについたよ」と、暑かった祭りの
終焉を告げられ、何時の間にか高くなった空の下、なんともいえない橙の色が目にも気持ちにも鮮やかに映えていた。
始めはそれの名前も知らず,ただ甘い匂いだとしか認識していなかったように思う。
勿論,それが、ある季節と直結しているだなどと思うわけもなく。
だから,僕にとって「それ」は、まだ見ぬ恋人のように淡い存在であったのだ。
その名前を教えてくれたのは,当時僕にとって一番大切な人だった。
その人は花の名前にも詳しく,自然をとても愛する人だった。
「ねぇ,この甘い香りを振り撒いている花はなんていうの?」
「あら,知らなかったの?」
「うん」
「金木犀よ,キ・ン・モ・ク・セ・イ」
「えっ・・・」
その時だった,高校の頃、ある歌詞にあった「キンモクセイ」がこれの事だったのだと合点がいったのが。
「キンモクセイ」をどこかの星とばかり思っていたんだと君に話すと,君は本当に可笑しそうに笑っていたものだ。
そして「金木犀って私大好き」と,秋の陽を浴びながらその香りを身体一杯に吸い込む仕草をしていた。
それからだ,君が僕に様々な花の名前や植物の名前を教えてくれるようになったのは・・・

季節が巡る度に,僕の前を名も知らぬ花々が通り過ぎて行く。
そんな時、つい思ってしまうのだ,君ならきっと、きちんと答えてくれるだろうにと。
「ごめんよ,沢山教えて貰った筈なのに、僕は殆ど憶えてないみたいだ」
もしかしたらちゃんと憶えているのは「金木犀」だけかもしれない。

いつもの帰り道,路傍にひっそりと咲く花に、立ち止まり思わず声を掛けている自分がいた。

「君の名は」と・・・



2006/10/8(日)17:19 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて


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