ジャンニバルバ−トで行こう!







「何だこれは・・・」
ショップに入った途端,それが目に飛び込んできた。
足が自然に向かう。
手に取ろうかどうか躊躇していると「凄いですよね」と店員が声を掛けてきた。
「うちのじゃなくてインポ−ト物なんですけど」
「・・・」
「あっ,イタリアのブランドで、ジャンニ・バルバ−トって言うんですけどね。イエロ−レザ−の上から刺繍を施してあるんですよ・・・」
店員に話しかけられている間も,僕は「それ」から目が離せないでいた。
今までの鬱々とした気分が,イッキに吹き飛んでいたのだ。
それほど僕は衝撃を受けていた。
25歳になった今も,ファッションなどには全くと言っていい程興味がなく「服は着られればいい」「靴は履ければいい」的な考えだった自分が、今その靴に「目」を、いや「魂」さえも奪われようとしている。
しかも未だかつて履いた事もない「ブ−ツ」にだ。
「あの,これ、履かせてもらってみてもいいですか?」
「どうぞ,どうぞ。ただ、この一足だけしかないんですけどね、え〜とサイズは・・・」
その「イエロ−」からは,確かに僕の未来を明るく照らす波動のようなものが発せられていたのだ。
そう「くよくよしててもしょうがないぞ」という光線が,力強く僕を照らしていたのだ・・・

「お前もう何回目だと思ってるんだ!」
社長の怒鳴り声が事務所に響き渡る。
またやってしまった。
また時間を間違えてしまったのだ。
「何で15時が,5時になるんだ!5時は17時だろう!!お前の頭の中は空っぽかぁ!!!」
「ス,スイマセン・・・先方の方が早口で、よく聞き取れなかったものですから・・・」
「だ・か・ら!いつも言ってるだろう,それはっ!・・・あ〜っ!全くお前は何回言わせれば・・・うんっ、おい!この
コ−ヒ−完全に煮詰まってるじゃないか!こんな物俺に飲ませて殺す気か!早く新しく淹れ直せ、林!!」
「ハッ,ハイッ!」
「まったくどいつもこいつも!・・・」
「あの・・・社長,禁煙中じゃ」
「あっ・・・バッキャロウッ!てめ〜のせいで俺は又!・・・う〜っ・・・ちょっと出掛けてくる!山辺!これから1時間は
俺の携帯鳴らすなよ!お前と新居で、スケジュ−ル調整しとけ!」
「社長,でも、もうすぐ打ち合わせが」
「ウルセ〜ッ!俺はフケる。適当な事言ってうまくやっとけ!じゃあな!!」
バタンッ!という大きな音をたててドアが閉まると,事務所の方々で「ホッ」と息を漏らす音が続いた。
「スイマセンでした!」
「気にしないで吉田君,社長のトルネ−ドには皆もう慣れっこだから」
「しっかし,良くあんな瞬時に沸点を越えられるもんだね、俺なんかもう20年の付き合いになるけど、あれだけはある意味見事だよねぇ」
僕の肩を叩きながら「じゃあお疲れ!」と,声優の小山内さん。
「お疲れ様でした!」「次もよろしくお願いします!」と方々から声が飛ぶ。
「どんまいどんまい」と小声で僕を励ましながらドアを潜っていった。
小山内さんは,レギュラ−の「生ナレ」を終え、事務所で一休みしていたのだ。
次は確かドキュメンタリ−番組の現場の筈だ。
「さて,社長が戻ってくるまでに片付けちまおうか新居」と山辺さん。
「ハイッ」と言って新居さんはファイルを取り出し始める。
僕は隣のデスクチ−フの北条さんに「申し訳ありませんでした」と再び言いデスク業務に戻った。
北条さんは「気にしない気にしない」と僕に微笑みかけながらスケジュ−ル帳に目を走らせる。
事務所に残っていたマネ−ジャ−達も,僕に何か声を一言かけながら,それぞれの現場に向かっていった。
同時期に入り,マネ−ジャ−になった由美が心配そうな視線を投げかけてくる。
彼女の唇が動きかけた瞬間「山瀬何してる行くぞ!」と,チ−フ・マネ−ジャ−の轟さん。
「ハイッ!」と返した由美の表情には「頑張って」という気持ちが表れていた。
ドアが閉まると,事務所は暫しの静寂に包まれた。
そしてまた日常の業務が動きだす。
「また仕事を変わるんだろうか・・・」
そんな事を漠然と考えながら,コ−ヒ−を淹れる為に席を立つ。
大学を卒業して最初に就職したデザイン事務所では,不規則な労働で身体を壊し、1年で辞めざるを得なかった。
半年のブランクの後就職した出版社では,何故か先輩のある方から目を付けられ、いわれのない噂を流され居づらくなって、半年ももたず、追われるように辞めていた。
そして今の芸能事務所。
今度こそはと門を叩き,入社する事は何とか出来たのだが、生来のいい加減な性格がところどころで顔を出し、暫く様子を見てからという社長のお情けで、デスク業務の一旦を担わせてもらう事になったのだ。
本当はマネ−ジャ−候補生だった筈なのに。
由美はその時,一緒に中途採用された3人(一人は突然来なくなってしまった)の内の一人で,明るく、愛嬌があり、性格も良かったので、事務所のアイドルのような存在になっていった。
「山瀬さん,役者やってみたら」
そんな声が幾つも挙った程だった。
しかし由美は「私はマネ−ジャ−になりたいんです」と頑なに拒み続け,今に至っている。
そんな彼女が,何故か要領の悪い僕に、いつも助け舟を出してくれているのだ。
これを「馬が合う」と言うのだろうか。
「2人の時はあたしの事は気軽に名前で呼んでね」とも言われていたし。
「何でお前なんかを山瀬がねぇ」
と社長は僕に面と向かって,社訓を唱えるように一日一回は必ず言うのだが,実は他のスタッフも同じように思っている事は事実だったりするのだ。
「しかし・・・」
そう,このままでは・・・
そんな鬱々とした気持ちを抱えたまま,午前の仕事が終わり、ランチタイムになった。
僕は何故か逃げるように事務所を飛び出した。
その事で,自己嫌悪がますます加速していった。
あてもなくブラブラ歩く。
「あれっ,こんな店あったっけ?」
そんな時だったのだ,あの靴と出会ってしまったのは・・・

「社長!お話があるんですが」
「えっ,何だどうした、うん?何か・・・午前中と違うなお前、で、何だ?」
「僕にマネ−ジャ−をやらせて下さい!」
「ハアッ!?お前寝ぼけてんじゃないのか!」
スタッフ達は,またトルネ−ドが吹き荒れるのではないのかと固唾を呑んで見守っている。
「お願いします!死ぬ気でやりますんで、僕にマネ−ジャ−業務を叩き込んで下さい!!」
その時の僕には,多分鬼気迫るものがあったのだろう。
社長も他のスタッフ達も皆、口をポカ〜ンと開けて僕を見ている。
「お願いします!!」
僕は社長に向かって深々と頭を下げていた。

「吉田く〜んっ!」
振り向くと,由美が手を振りながら駆け寄ってくる所だった。
「お疲れ様。あれ,もう一件あったんじゃないの?」
「社長が直々に行くことになってあたしはあがっていいって」
「そうなんだ」
「聞いたわよ,社長に直談判したんですって」
「うん,まあね」
「トルネ−ドが不発だったの初めてだったらしいわよ」
「・・・」
「何?どうしたのニヤニヤして」
「えっ」
「フフフ,あたしがいつも言ってたでしょう。吉田くんはヤル気になれば出来るんだって」
「ねぇ・・・由美」
「な〜にっ?」
この笑顔だ,この笑顔に僕は。
「もしよかったら,飲んでいかない?」
「えっ・・・飲めるんだ吉田くん。いいわよ、あまり遅くはなれないけど」
「そうか,明日イベントだったね」
「うん・・・あらっ,変わったブ−ツ履いてるのね。いいじゃない、これ!」
「あぁ,ありがとう。実はこのブ−ツはね・・・」

僕はこの日,まるで自分が生まれ変わったような、そんな気がしていた。
いつもいつも,何事にも自信が持てず、クヨクヨと後ろばかりを振り返っていた自分。
すぐに諦めてしまう悪い癖がついていた自分。
あまりにもネガティブだった自分。
「そんな自分とは,もうサヨナラしなきゃな」
そして僕はもう一つ,一大告白をしようと心に決めたのだ。
深呼吸をする僕の頭上で,今宵一番目の星が瞬き始める。
視線を落としたその先には,僕に「勇気」をくれたイエロ−ブ−ツ。
由美の声を聞きながら僕は思っていた。
「当たって砕けろだ」と。

「25歳になってようやく人生のスタ−トラインに立てた」

まだまだ遅くないさと呟く僕の横顔を,クルマのヘッドライトが優しく撫でていった・・・



2008/3/10(月)17:21 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて
      &
2008/3/14(金)16:52 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて
      &
2008/3/17(月)0:30 自宅にて


back Copyright 1999-2008 Sigeru Nakahara. All rights reserved.