7色のストレ−ト







中学の頃,テニス部に「7色のセカンドサ−ブ」を打つ同級生がいた。
軟式テニスは,硬式テニスと違い、ファ−ストサ−ブは上から打つのだが、セカンドサ−ブは下からカットサ−ブを打つ事が殆どだった。
プラス,クォ−タ−気味から縦にカットするサ−ブもあった。
セカンドサ−ブは威力も落ちる上,軟式だとただ入れただけではバウンドが大きくなってしまい、相手にとっては「絶好球」に
なってしまうからだ。
その同級生は,いつのまにかそう呼ばれるようになった「異名」の通り、様々な緩急と変化を付けたサ−ブを打ったのだ。
時には,真っ平らになったのではないかと思われる程の回転を付けられたボ−ルが、相手のコ−トで全くはねずに
止まってしまうというシ−ンを目の当たりにした事もあった。
彼は本当に幾つものカットボ−ルを編み出し,ある日風のように転校していってしまった。
そして僕は,チ−ムで3番目のポジションのペアになっていた。
(軟式にシングルスはなく,ダブルスだけなのだ)
僕も彼のように,まるで「魔法」のようなサ−ブを打ちたくて、懸命に練習したのだが、結局、失敗を繰り返すばかりで、試合では
オ−ソドックスなサ−ブを打つに留まっていた。
あの時,自分にも彼のような「7色」とはいかないまでも、一つでも「これ」といったサ−ブがあれば、3年の最後の夏の大会、
ベスト8に名乗りを挙げられたかもしれない。
4面あった「茅ヶ崎市営テニスコ−ト」全面に,僕達、鶴が台中(台中)のペアが立っていると言う、ある種の「快挙」が成った筈だったのだ。
しかし僕達のペアは敗れてしまった。
相手は,一中のエ−スペアで、その試合は互角に渡り合っていたのだ。
後衛のストロ−ク戦では,こちらが有利に展開していたのだ。
前衛のKと練習を重ねてきたプレ−もうまくいき「これなら勝てる!」と思っていたのだ。
「今迄一度も勝った事がないペアに勝てるかもしれない」と。
だが,たった一回の明らかなミスジャッジから、流れは変わってしまった。
Kの再三の抗議も実らず,試合再開。
それからはどのようにプレ−していたのかは憶い出せない。
最後は,僕のストロ−クがエンドラインを割り、ゲ−ムセットの笛が、真っ青な夏の空に吸い込まれていった。
「負けるかと思ったよ」
ネット越しに握手を交わした時,一中のキャプテンにそう言われた。
僕は何がなんだか分らない放心状態の中にいた。
結局,一中のペアは、ベスト4に駒を進めた。
「・・・」
僕の中学生活最後の夏は,そのようにして幕を閉じた。

それから幾つもの夏が,幾つもの季節が過ぎた現在(いま)、僕はふと思ったのだ。
「今の自分は、あの7色のサ−ブが打てるようになったのではないのか」と。
ただ,それは最初から変化をしているものではない。
テニスではないが,野球で言うと、全てストレ−トを投げているのに、それが微妙に変化しているのだ。
僕はそんなに器用ではないし,変化球でかわそうなどと思った事もない。
この仕事を始めた時から,渾身のストレ−トを投げ続けてきたつもりだ。
それは長い時間を掛けてそうなった訳ではなく,最初からその兆候はあったのかもしれないのだが。
何のブレもなく「人の心の真ん中」に投げられるボ−ル(言葉)もあれば,予測不能の動きを見せるボ−ル(言葉)もある。

己の心模様の襞(ひだ)をそのままボ−ルに乗せ,僕は今日も渾身のストレ−トを投げ込む。
その先には,きっと見事な虹が掛かると信じて。

振り向くと,いつまでも「あの夏の空」を見上げている少年がいた・・・



2008/5/18(日)16:35 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて
      &
2008/5/24(日)15:37 「日光金谷ホテル」にて


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