「ゆるカフェの仲間たちへ」〜もう一つのカフェ・エッセンス〜 |
初めての夏だった。 いつものように,お湯を沸かし、ゆっくりと珈琲を淹れる。 BGMは,蝉時雨と、風鈴の音色。 私の一日は,判で押したように変わらない。 先程,外に打ち水に出た際見上げた夏空には、大きな入道雲がモクモクと沸き立っていた。 厳しい陽射しに目を細めていると,遠くから、隣の農場の子供が「こんにちは!」と声を掛けてきた。 ボ〜ン,ボ〜ンと、古い柱時計が「開店時間だよ」と時を告げる。 開店前,店の備品を探していた街のアンティ−クショップでたまたま目に留まったそいつは、実にいい音を発していたのだ。 カウンタ−の中へ入り,コ−ヒ−カップを手早く洗うと、オ−ディオのスイッチを入れ、外に出て「春夏冬中」の札をドアに掛ける。 最初は「オ−プン」という札にしていたのだが,近所のお年寄りに聞いた話から、今の札に変えたのだ。 「秋がない・・・商い中」 これには,今迄「飽き」て何事も長く続かなかった自分への自戒の意味も込めてあるのだ。 蝉時雨と風鈴の後ろで,遠慮がちにジャズが流れている。 そこにポットのお湯が沸く音が入り込む。 まるでそれが合図だったかのように,カウベルが澄んだ音を立てる。 「ちょっと聞いてよ,マスタ−!」 こちらに「いらっしゃい」の挨拶もさせず,カウンタ−のいつもの席に勢いよく座ったのは、常連の一人であるHさんだ。 「いつものね」と早口で言うと,流暢なおネエ言葉で、昨日来たお客さんがどれだけ最悪だったのかを喋り始める。 私は,その間「フ〜ン」とか「そう」とか簡単な相槌を打つだけなのだが、小一時間も話すとスッキリするのか「マスタ−、じゃあ又ネ!」 と、外に置いてある真っ赤な「ドゥカティ」に跨り、颯爽と走り去るのだ。 その時間が過ぎると何故か「ようやく一日が始まった」という気持ちになるから不思議だ。 こんな事を繰り返しながら,私の一日は、非常にゆっくりとしたテンポで進んでいく。 「そろそろSさんが来る頃かな・・・」 彼専用のカップを棚から出しながら,もう一度丹念に拭く。 私の後ろの大きな一枚硝子の窓の向こうには,夏の生命(いのち)が溢れている。 街にも喫茶店はあるのに,みんな、こんな山奥の辺鄙な場所にある、私の店まで来てくれる。 「冬場は大変なんだろうなぁ」 そんな事をボンヤリと考えていると,ふいに黒電話が鳴った。 ダイヤル式の,今となっては骨董品と呼んでもいいそいつの受話器を取ると、私は少し明るめの声で。 「ハイ,カフェ・エッセンスです」と、答えていた。 そこに,やはり遠慮がちに、カウベルの音色が滑り込んできた。 珍しく,Sさんは一人ではなかった。 2人は,カウンタ−の、私から向かって右端の席に居を定める。 電話の相手に,ここまでの道順を伝えながら、Sさんからの「同じものを2つ」というサインを受け、ポットに水を入れ、火にかける。 「観光の人?」 「えぇ,何か観光課のOさんから聞かれたみたいで」 「何人?」 「4名ですね」 「大変だったら言ってよ,俺、手伝うから」 「ありがとうございます」 珈琲ミルで豆を挽きながら,先程の電話の相手の声を憶いだす。 「大学生だって言ってたよな」 隣の倉庫にしている部屋に,深いブル−を湛えた珈琲カップが、ちょうど4人分あった筈だ。 「自分がチョイスしたカップを喜んでくれるだろうか」 そんな事も実は密かな楽しみだったりするのだ。 何時の間にか,陽は中天に差し掛かろうとしている。 二人分のブレンドを容れ,Sさん達の前に立つ。 Sさんが一口 「美味いね・・・やっぱりマスタ−の淹れてくれる珈琲はいいね!」 「ホント美味しい!」 連れの女性も満足してくれたようだ。 軽く会釈をしてその場を離れる。 ふと,外に眼を遣ると、大きな黒アゲハが、ゆったりと私の視界を横切っていった。 「やがてカウベルが鳴ると,束の間、かまびすしくなるんだろうな」 そんな事を考えながら,私は珈琲カップを取りに、隣の部屋への扉を潜っていた・・・ 2008/8/8(金)17:12 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて |
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