シルバー・カルテット |
正直言って僕は今迄,腕時計も含め、あまり、アクセサリ−類(シルバ−など)には興味を持っていなかった。 それが去年の秋以降から急速に魅せられ始め,ついには、とうとうある物達を持つに至った。 それも,洋服に合わせて付け替えるという概念ではなく、服は様々に変化しようと、それらは変わらずに、 僕の一部として「そこに」在り続けるという存在として。 その一番手が「時計」であった。 ブレスレットも兼ねる時計が欲しくなったのだ。 色々探していても中々気に入った物に出会えなかったのだが,これは、たまたまある知り合いから珍しい「逸品」を 譲り受ける事となって解決した。 エンポリオアルマ−ニの,これも文字が漢字(赤)という極めて珍しいモデルに、特注で創られたクロムハ−ツのバンド が組み合わされた、とても美しいフォルムと雰囲気を醸し出す、まさに「逸品」で、僕の腕にも素晴らしくフィットしてくれたのだ。 それと併せて,僕の左手首を彩ってくれているのが、現在は活動を停止しているアメリカのカリスマ(レザ−&シルバ−)ブランド 「SKKIN」のマジェスティックブレス。 これは昨年僕が初めて購入したシルバ−ブレスでもある。 そして右手首と右手人差し指には,イタリアの名門「クラウディオ・カレスタ−ニ」の三連ブレス&リング。 このブランドは日本では知る人ぞ知るというブランドなのだが,その理由は、クラウディオの意向により広告展開を全く していないからだと言う。 一点一点が手作りで時間が掛かるという理由もあるのだが,もう一つの大きな理由は「本当に愛してくれる人にだけ身に付けてもらいたい」 という強い思いがあるからなのだそうだ。 何かに引き寄せられるように久しぶりにショップにお邪魔したある日,購入する気など全くなかった僕に、あるブレスが語り掛けてきたのだ。 少し話しをした後「あのブレス試着させていただいていいですか」という自分の声を聞きながら「何故これを身に付けるんだ」と 自問したのだが、手にして嵌めた瞬間「これは!」と絶句する自分がいた。 次は重厚なブレスが欲しいと思っていた僕に,その三連ブレスはまさにピッタリだったのだ。 スタッフから話を聞きながら内心僕の気持ちは決まっていたのだろう。 仕事の時間が迫り店を辞した後も「三連ブレス」の事が頭から離れなかった。 数日後。 意を決した僕は「三連ブレス」を迎え入れるべくショップに足を踏み入れた。 送り出される前の「磨き」の儀式を見ながら「今度の撮影から登場だな」と,アドレナリンが迸り始めた己(おの)が身体を鎮めるため、 ミネラルウォ−タ−を喉に流し込んだりしていた。 その撮影などの話から「バランス」の話になり「スタイリング」の話に移行していったのだが、その過程で、僕の指にも幾つかの リングを施していただき、ブレスからリングへの「流れ」の美しさもご教授いただいていた。 中でも右手人差し指に嵌めたリングの存在感と,その逸話に、僕の心は激しく揺さぶられていたのだ。 その逸話とは・・・ 昔,王だけが決済出来、王のみが所持する事が許された「刻印」があったのだと言う。 大変大事な物だったので,盗まれる事を防ぐために「刻印」を指輪にして所持していたのだと言う。 それがモチ−フとなって,今この形のリングが出来上がったのだと。 それと併せて,クラウディオが3年程前に日本を訪れた折りに、京都で見た「桜」にインスピレ−ションを得て、リングの表には、7片の「桜」を 模したのだと。 プラス「貴方にラッキ−が訪れますように」という思いも込められているのだと。 決定的だったのは,そのリングをした時、先程購入したブレスと,左手を飾るブレス達との「バランス」が絶妙で、尚かつ「呼ばれている」気がした事だ。 それは,クラウディオが全て「手作り」を重んじているという事にも起因しているのだろう。 リングにはサイズがあるのだが,クラウディオが創作するリングには金型があるわけではなく、全て「感覚」で創られているのだ。 それはどういう事かというと「人を選ぶ」という事なのだ。 その人の指にあうかどうかは,してみるまで分からないという事なのだ。 そのリングは僕の人差し指にフィットした。 まるで僕の指に収まるのを待っていたかのように違和感なくフィットしたのだ。 (追記をしておくと「人差し指」は,指し示し、決定する指とも言われているそうだ。 だから,その重要な指にリングを嵌める事はとてもいい事なのだと。) その日もいつのまにか仕事の時間が迫っており,後ろ髪を引かれながらも店を後にした。 しかし・・・ 次の日,僕の足は自然にショップに向いていた。 そのようにして,僕は二(ふた)作品続けて迎え入れる事となったのだ・・・ 誰かとの出会い,何かとの出会いは、突然やってくる。 だが,それに「運命」のようなものを感じる事は希だ。 クラウディオのこの二品(ふたしな)は,これからの人生を共に歩みたいと思わせる「オ−ラ」のようなものを「腕」「指」を通して 僕に放っていたのだ。 両の手を彩る「シルバ−・カルテット」と,僕はこれからの日々を共に過ごす。 先程撮影の話をしていた時スタッフに言われたのだが,撮影だからすると言うよりも、毎日している物を纏いそのまま出る方が いいですよと。 そこに在るのが当たり前になっている方が,その人の一部として、自然に見えますからと・・・ 両手に心地よい重さを感じながら,僕は今、この文章を打っている。 それが「当たり前」になる日がいつになるのか「心待ち」にしながら。 決定する指に嵌めたリングの先に示された,己のまだ見ぬ道の行方に戦(おのの)きを感じながらも、光の筋がひと筋、 この道を往けと、指し示してくれているようだった。 我が道を往けと。 信ずる己の道を,迷わず、真っ直ぐに往けと。 夏空に翳す指先に,ラッキ−の花びらが誇らしく揺れていた・・・ 2010/7/14(水)01:52 自宅にて & 2010/7/14(水)15:09 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて & 2010/7/18(日)15:29 同上 |
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