ロングライフパ−トナ− |
「パ−トナ−」 いつ頃からだったのだろう。 「人」に対しては勿論の事だが「モノ」に対してその思いを強くしていったのは。 今はそれがより当たり前の「思い」として僕の中に在るようだ。 そして「モノ」に対する眼差しも柔軟なものへと変化を遂げてきている。 例えば,数年前までだったら「レザ−」と言えば「オ−ルレザ−」でなければ許せないといった、変なというか、乱暴な拘りがあったのだ。 レザ−の種類に対しても,シンプルではないと僕が勝手に思っている「クロコダイル系」「リザ−ド系」などは自分が持つ事など有り得ないとまで考えていたのだが、今は「物によってはこれもいいか」という具合になってきている。 実際,3種保持しているカ−ドケ−スの内の1種は「スティングレイ」&「シルバ−」で形成された、イタリアは「ウ−ゴカッチャト−リ」の「逸品」で、見た瞬間「いい」と思いその場で購入したという経緯がある。 「スティングレイ」も同じく「有り得ない」と思っていた筈なのにだ。 先日も,レザ−アルチザンである仲垣くんの工房を訪ねた折「スティングレイ」を中心に構築された「ある物」をオ−ダ−してしまった。 手に取り色々話をしている内に決めてしまったのだ。 「何」と「何」を合わせるのか。 合わせる物を間違うと,とんだ「大失敗作」となる恐れもある。 しかし,合わせが絶妙だと、素晴らしい「逸品」へと、思いもかけない「昇華」を遂げるのだ。 1+1が2ではなく,4にでも10にでも大きな変化を遂げるマジックは可能な筈だ。 それが「創作」というものではないのだろうか。 その「瞬間」を何度も味わいたくて,僕は仲垣くんの工房に足しげく通うのかもしれない。 暫くフルオ−ダ−を掛けていないと、自分が渇いてきているのが分かるのだ。 もうこうなるとこれは一種の「中毒」なのかもしれない。 他にも,自分が気に入って手にした「逸品」は数知れず。 「レザ−」を中心に据えたそれら「鞄」「靴」「洋服類」「小物類」etc・・・etc・・・etc・・・ そして,一昨年の10月辺りから、突然、僕の生涯の相棒へと名乗りを上げた「シルバ−」&「スト−ン」達。 彼等・彼女等を身に纏う時,僕はいつでも胸の高鳴りを覚える。 仕事場に赴くときには,胸に「覚悟」を改めて刻み付けられ・・・ 自分がいつでも「シンプル」でいられるよう。 これからの人生を僕は「ロングライフパ−トナ−」と共に,風のように歩み続けていきたい。 そう,シンプルに・・・そして、風のように・・・ 2011/5/20(金)14:40 「OKASHI0467」にて & 2011/5/21(土)0:40 「自宅」にて |
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