アイスオレの休日

蝉時雨とジャズに寄り添うように,古い掛け時計の時を刻む音が、えもいわれぬコントラストを紡ぎだしている陽盛りの午後。
元は縁側であったであろう場所に設えられたテ−ブル席には,網戸越しに気持ちの良い風が吹きすぎている。
「ジジジ・・・」と飛んできた蝉が一匹,庭先の木に留まった。
目の前には「アイスオレ」と「文庫本」が一冊。
猛暑と言われた日なのだが,汗は既に退いている。
気が付くと音楽が止んでいた。
マスタ−がレコ−ドを変えにくる。
真空管アンプから響き・溢れてくる音は,とても懐かしい色合いに満ちていた。
音自体が「昭和ノスタルジ−」そのものと言っていいのかもしれない。
そう「音自体」が「セピア」なのだ。
それが充満しているこの空間も。
ゆっくりと見渡してみる。
「まるで母方の祖父の家に帰ってきたようだ」

僕が中学の頃に亡くなってしまった祖父。
細い坂道を登って行くと,そこでいつも僕と母を迎えてくれた祖父。
「緑ヶ丘」という地名が幼いながら好きだった。
平屋で,外にお風呂がついていて。
そのお風呂に入るのも,なんだかちょっとした冒険のようで・・・

天井を見上げながら,様々なランプに視線を移しながら、本は開かずに、時には目を瞑りながら、ここの時の流れだけを感じ取ろうとしていた。
祖父の家には,今では殆ど見掛ける事のなくなった「鳩時計」があった。
そんな事を憶い出しながら「アイスオレ」を一口。
ここの「アイスオレ」は絶品だ。
黒電話が鳴っている。
マスタ−の話し声。
「そういえば高校・大学の頃はまだ黒電話だったよな」
朧げな思考の中,様々な事象が、唐突に浮かび上がっては沈んでいく。
この空間に浸っていると,色んなピ−スが繋ぎ合わされていくようで。
時には「モノクロ」であったり,時には「セピア」であったり、時には「総天然色」であったり。
目線を下に向けると,母が昔使っていた懐かしい「足踏みミシン」のメ−カ−名が。
「そう言えば・・・」
と,先程飛んできて木に留まったままの蝉に目を遣ると,ただじっとそこにいるだけであった。
これだけ蝉達が大合唱を続けているのに,ただじっとそこにいるだけであった。
「まぁそんな蝉もいるか」
アイスオレを飲み干すと,結局一度も開かなかった「文庫本」を鞄にしまい、携帯を「携帯ケ−ス」に収め、それ用の袋に入れると、同じく鞄へ。
時計を見ると,45分程が経過していた。
席を立ち,会計を済ませ外に出ると、頭上から大量の「蝉時雨」が降ってきた。
「ブロンプトン」に跨ると,僕は狭い路地を縫って奔り始める。
今日は,この夏で一番蝉達が頑張っているようだ。
「また寄らせてもらうよ」
そう心で呟きながら,これからの自分の人生を語る上で欠かせなくなったであろう「リトリ−ト」を後にした。

噴き出す汗がとても心地良い。
僕の「夏休み」はまだまだ続くのだ。

いや「夏休み」は僕の中で永遠に続くのだ。

「永遠」に・・・



2011/8/16(火)1:30 自宅にて


back Copyright 1999-2011 Sigeru Nakahara. All rights reserved.