路地を縫って

最近は「ブロンプトン」を仲垣君の工房にレザ−メンテナンスに出している為,鎌倉方面に向う場合は「江ノ電」を足にしている。
桜の季節には続けて二度ほど訪なったのだが,僕のお気に入りのコ−スは「極楽寺駅」から「長谷」に向う短いコ−スだ。
ブラブラと坂を下り「坂の下」辺りに来ると,ちょっと「路地」を覗きたくなり、あてもない「散策」が始まる。
海の方へ出てみたり,少し内陸へ行ってみたり。
そんな中「カフェ坂の下」も発見したものだった。
ドラマで登場したお店のモデルになってからは,大層混み合って折り、中々ゆっくりとした時間を過ごすという事は出来なくなってしまったようだ。
一度「まぁ寄ってみるか!」と足を踏み入れた事があったのだが,入った瞬間、凄まじく「後悔」したものだ。
外からチラッと見て想像はしていたのだが「満員」で非常にうるさく,本を広げる事もなく、珈琲だけ飲んで、そそくさと退散していた。
その時,頭に思い浮かんだのは、横浜は外人墓地の側(そば)にある「えのき亭」の事だった。
「あそこも有名になる前は,ひっそりとした時が流れる、寛げる洋館だったのになぁ」
そう言えば以前「休日」にたまたま「長谷」を訪なった際,初めて見つけた、やはり古民家をそのまま使用したカフェのような店に上がった事があったのだが(ここは靴を脱いで上がるようになっていた)、店内の余りにもひしめきあった状況に、その場で即回れ右をして「入り口」で案内してくれたスタッフの方に「スイマセン、またゆっくり来ますので」と言い残し、やはり、そそくさと店を後にしていた。
一度扉を潜ったら「失礼」だと思うので,席にも着かず、出て行くなどという事は決してしない質(たち)なのだが、あの時は「本能」の方が勝っていたようだ。
両店を出て向った先は,どちらも、言わずと知れた「OKASHI0467」なのだが。(笑)
自分が心底寛げると感じるお店には中々出会える事がないのだが、だからこそ、そういう店に遭遇すると、胸が高鳴るのかもしれない。
「路地」には今でもドキドキが詰まっている。
「現実」という「表通り」から一歩入っただけで,あの「三丁目の夕日」の世界にタイムスリップしてしまったかのような錯覚にとらわれる事もある。
「路地」に迷い込んで,自分が今どこにいるのか、全く判断がつかなくなった事もある。
それにより,忘れがたい風景に出会えたり。
それにより,忘れ得ぬ一日として,柔らかく静かに、心に刻まれていたり。
「・・・こっちに行くか・・・」
己の感覚に任せ,気の向くまま、ブラブラと。
「フラッと病」とは,これからも「いい友達」でいられそうだ。
「路地」の出口が見えてきた。
向こう側には「現実」の世界が見えている。
極々短いタイムトリップを終え,今日も僕は、無事に帰還しようとしていた。
多分人は「現実」と「虚構」の狭間を行ったり来たりしながら「今」を生きている。
世界に「リアル」しか存在しなければ,きっと僕は、いや、人は「窒息」してしまうのではないだろうか。
様々な「繋がり」を求めて僕は今日も生きている。

表裏一体
「パラレルワ−ルドは一体,いくつくらいあるのだろう」

人はいつでも「時間旅行」に出掛ける事が出来るのだ。
「路地」という,一番身近な「タイムマシン」に乗って。

そう「路地」には今でも「ドキドキ」が,まっくろくろすけのように、沢山詰まっている・・・



2012/4/30(月)19:11 自宅にて
         &
2012/5/1(火)13:56 同上


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