雨の降る日に

しとしとと雨が降っていた。
こんな日に何時も憶い出す歌がある。
「雨の降る日に」
オフコ−スがまだデュオだった初期の頃の名曲の一つだ。
「雨の降る日は,いつでも、時は、遡る・・・」
特にこの詩は,当時高校生だった自分よりも、今の「僕」に、よりダイレクトに心に響いてくる。
オフコ−スの最初からのファンの方は,このデュオ時代が、真のオフコ−スだったと思っている方は多いようだ。
あの頃のオフコ−スの,小田さんが、鈴木さんが紡ぎ出す、詩&曲の世界には、確かに誰も真似をする事など叶わぬ、独自のフィ−ルドが広がっていた。
何かキ−ワ−ドを挙げるとするならば「切なさ」だろうか。
だからだろうか。
多感な時期を送っていた僕等に,その「切なさ」が染み渡っていったのは。
以前も書いた事があるのだが,オフコ−スを僕達に広めたのは、同じ「新聞部」にいた、同級生の「おタカ」だった。
名曲「秋の気配」をみんな,半ば強制的に聴かせられたものだ。
そこから様々な曲を知るようになり。
いつのまにか自分でも唄うようになっていった。
それから「N・S・P」
この3人組は「オフコ−ス」とは又一味違った「切なさ」を醸しだし、やはり僕等の「高校時代」を語る上ではなくてはならない存在となっていった。
メインボ−カルの天野(あまの)さんは,お世辞にも「唄」が上手い人ではなかったのだが「そんな事は関係ないんだ」と即思わせられる位の独特の世界観(詩&曲も含め)を持っていた。
こちらも,同級生の「N・S・P」大ファンの女の子から教えられたのだが。
その子はもう一人の子とデュオを組み,美しいコ−ラスに僕等はいつも聴き惚れていたものだ。
彼女等のデュオ「ちょろりん」はカセットテ−プに残っているので,今度探して見ようと思う。(部屋にある「ケンウッド」のコンポにはカセットデッキも内蔵されているので)
もしまだちゃんと聴けたら,毎月「フォ−ク同好会」でライブを行っていた、あの懐かしい「視聴覚室」に会えるかもしれない。
みんなに,会えるかもしれない・・・

そんな事を考えながら庭に眼をやる。
少し雨脚が強まったようだ。
風はなく,雨は真っ直ぐ落ちてきている。
緑が喜んでいるようだ。
「季節は巡る」
そう,確かに誰の前をも、時は等しく流れてゆく。
「未来」はそしてすぐ「過去」になる。
しかし。
「過去」も「未来」に成り得るのだ。
「過去」をぐるっと一回りすれば,そこに新たな「未来」が待ち構えているのだ。
そう信じよう。
そう信じて生きて行こう。
「何度」でも「何度」でも,生き直してやる。
生きられなかった奴等の為にも。

あの頃の「切なさ」は今も確かに息づいている。
ただ「懐かしく思える事」は,実は幸せな事なのではないのだろうか。

雨の日は,少しというか、大分「センチ」になるようだ。
雨の降る日は・・・いつでも・・・

空を見上げながら「青空」を恋しがってる自分がいた。

と同時に,このままずっと、雨の中に立ち尽くしていたいと思う、自分がいた・・・



2012/5/3(木)13:54 自宅にて


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