水平線カフェ

稲村ガ崎の駅で降りるのは久しぶりだった。
まるで真夏が帰ってきたかのような暑さの中,目的の場所に向かって歩き始める。
風がとても強い。
「江ノ電」沿いのこの道は「ブロンプトン・クル−ズ」の際にいつも通っているコ−スなのだが、その道を逆に、徒歩で行くのは初めての事だった。
汗が吹き出す。
いつも見上げる電柱や木々の上に今日はトンビの姿はない。
これだけの強風だからだろう。
波もすぐブレイクという状況だからなのか,全くといっていい程サーファーの姿を浜に見かけなかった。
暫らく行くと,右手「江ノ電」の線路の向こうに小さな看板が。
「水平線カフェ」

「江ノ電」沿線には今でも線路を跨がないと行けないお店がある。
民家にも同じ事が言えるのだが。
僕がまだ子供の頃は,民家の軒先、玄関先すれすれを走っているのが当たり前の電車だった。
それこそ車内から様々な家の「団欒」が垣間見えたものだ。

とても近く波の音が聞こえる。
暫しそこにじっと立ち尽くしていた。
目の前の石段を少し登った先に又入口が見える。
視線を上に転じると,その先もまだ石段が続いているようだ。
線路を跨ぐ。
まるで子供の頃の「秘密基地」に通じる道を往くようでドキドキしていた。
最初の石段を登りきると白いペンキで塗られた板で出来た門の所に「アトリエ水平線」の可愛らしい看板が。
そこからは両側を木々で覆われた,不揃いの石段を登る。
この時,何か不思議な懐かしさに包まれていた。
母方の祖父の家に行くまでの道を憶いだしていたのだ。
と言っても祖父の家は海際にあった訳ではなく山側にあったのだが。
突き当たり,右側に行き少し登ると、突然テラスに出た。

「・・・」

そこには「圧巻」の「眺望」が広がっていた。
まるで「真夏」を思わせる陽射しと強風の中,視界はどこまでも澄み、心はどこまでも解放されていくようだった。
白いペンキを施されたウッドデッキ。
同じく白く塗られた二階建ての家。
これだけでタイムスリップをしたような心持ちになっていく。
入ると,ここの説明を受けた。
1F&2Fが展示スペースになっていて,2Fはカフェスペースにもなっている事。
フリードリンクで自由に何杯でも飲んでいただいて構わず,自由に時間を過ごしていただいて構わないという事。
ここはご夫婦の住居でもあるのだが,応対してくれた奥さんはイラストレーターで、ご主人は、写真家なのだという。
2Fにあがると先客が三人いた。
一人の方が「ご自由にどうぞ」と声を掛けて下さり,ドリンクの説明をしてくれた。
この方がご主人なのだろう。
中央にある長方形の大きなテーブルでは若い二人とその方が写真談義に花を咲かせていた。
そのテーブルの真ん中の花瓶には,見事な黄色の(まるで創りもののような)大輪のユリが飾られている。
僕は左側、隅の席に。
ここの椅子はとても懐かしい小学校の椅子のようだった。
右斜め前の窓越しに江ノ島が見える。
三人の話を背にベランダに出る事にした。
ここからの景色がまた「圧巻」だった。
右には「江ノ島」が見え,確か冬には「江ノ島」の上に沈む夕陽が見えるのだという。
吹き出し流れ出す汗にも構わず,正面・右・左の絶景に見入っていた。
深呼吸を何度した事だろう。
ここは展示会を行う時だけ解放するのだという。
春と秋のほんの短い間だけ。
実は今も第17回鎌倉「極楽寺・稲村ガ崎アートフェスティバル」2013/10/5(土)〜10/14(月・祝)が開かれていて参加しているからオープンしているのだと。
ご主人が熱く語る写真の話に耳を傾けながら,本を読むでもなく、ただただ、ボ〜ッと過ごしていた。
ここではそうするのが一番良いのだと思ったからだ。
五感に感じる自然の中に静かに身を浸しているのが最上の過ごし方なのだろうと。
ここの事は「ブロンプトン・クルーズ」を始めた時から頭の隅に引っかかっていたのだ。
初めて「カフェ」の文字を見つけた時「今度来てみるか」と思っていたのだが,次に来て見るとその文字はなく、暫らくたって来て見るとまた発見するのだが、また来た時はないという事を繰り返していたのだ。
年2回,それも短期間だけというなら、それも納得出来るというものだ。
ここからの眺めで一番お勧めの時間帯は,地元の人も訪れる夕陽の時間帯ではなく,そこから夜の帳が降りるまでの短い時間帯らしい。
ふと時計に目を遣ると,既に2時間以上が経っていた。
先客の二人も少し前に帰っていた。
もう一度ぐるりを見回し,ベランダに出て、景色と別れの挨拶を交わす。
階段を降りる。
奥さんと立ち話をしていると,続々と新しいお客さんがやってきた。
毎日来る地元の方もいるようだ。
「極楽寺」の話しになり,僕が、好きなカフェ「ラ・メゾン・アンシェンヌ 」の話しをし始めた時。*(エッセイNO47「ラ・メゾン・アンシェンヌ 」参照)
「私達夫婦は以前そこに住んでたんですよ」との答えが帰ってきた。
以前はあそこら辺数件を所有する大家さんが住居としてしか貸さなかったようだが,今は中身を変えずそのまま使うのであればOKという事で、店舗としても貸しているようなのだと。
この不思議な繋がりには「縁」を感じずにはいられなかった。
最後に,ここは「ハウススタジオ」としても使われているらしく、近頃では、桑田佳祐さんのPVに登場したようだ。
ご夫婦に別れを告げ,ウッドデッキに出る。
相変わらず,陽射しも風も強い。
「また来るよ」
と呟き,家にも別れを告げた。
ここにいる間,何度「江ノ電」が下を通過していっただろう。
来年の春,僕はきっと又この場所を訪れる。
その時,僕の目にはここの風景がどのように映るのだろう。
一歩一歩,不揃いの石段を降りながら、そんな事を考えていた。
線路を跨ぐ。
振り返り見上げる。
「とても有意義で素晴らしい休日だったな」
一度頭を下げ「稲村ガ崎」の駅に向け歩き始めた。
いつもは「ブロンプトン」で奔る道をゆっくりとゆっくりと。
何かを刻み込むかのように歩を進める。

その時僕は「水平線カフェ」のベランダから見る,まだ見ぬ黄昏の景色を思い浮かべていた・・・



2013/10/13(日)14:04&17:14 自宅にて


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