魂は死なず

 


「時よ
過ぎ去っていく時たちよ
そんなにもお前は大きなものを僕達から奪いとってゆく・・・
叫び止めてみても戻らぬものなら
失ってゆきたくないもの全てをお前に委ねよう・・・だから・・・
だから 過ぎ去ってゆく時たちよ
矢のようにいってほしい
誰の心にもつきささる事なく・・・」

その人とはじめて会ったのは,僕がまだ専門学校に通っていた二十歳の頃であった。
講師をされていたディレクタ−の方に「見学に来てみるか」と誘われ、何人かで、洋画のARというものをはじめてスタジオ内で見学させていただいた時だ。
その時に主役をされていたのが,塩沢兼人さんであった。
「こんな事が僕にできるのだろうか・・・」と,プロの現場を目の当たりにして僕は思っていた・・・
そしてあるキッカケからアニメのオ−ディションに受かった僕は,二十一歳になった四月から「魔境伝説アクロバンチ」の主人公・蘭堂ジュン役としてこの世界にデビュ−した。
そしてその「アクロバンチ」に何度かゲストとして,塩沢兼人さんがでられていた。
当時,挨拶をする位で、兼人さんとは言葉を交わした事はなかったと思うのだが、ベテラン陣の中で兼人さんは一番若く,すでに実力派若手声優として活躍されていた。
僕・中原茂二十一歳,塩沢兼人さん二十八歳・・・はじめての邂逅であった・・・

そして月日は流れて三年後・・・
「超獣機神ダンク−ガ」で,兼人さんとは始めてレギュラ−でご一緒させていただく事になった。
飲みにもよく行ったのだが,兼人さんからは僕も随分キツイ事を言われていたと思う。
そんな時,ある飲み会の三次会が終わった後、「茂ちゃん,もう帰れないだろうどうすんの」と聞かれ、「友達の家に行こうと思ってます」と答えると、「じゃあ家においでよ、そして上善つきあってよ」と言われ、「でもご迷惑じゃ」と返事をしながら、内心「怖いなぁ何か言われるのかなぁ」とドキドキしながらタクシ−で兼人さん宅へ向かった。
兼人さんの好きな「上善水の如し」を飲みながら(といっても,僕は当時あまり飲めなかったので飲んでいたのは兼人さんだけだったのだが・・・)とりとめもない会話をしていた。
もうすぐ確定申告の時期だったので,そういう話もしていたと思う・・・
そして次の朝,兼人さんの奥さんがつくってくれたサンドイッチをご馳走になった後、僕は兼人さんと一緒に駅までの道を歩いた。
その時の事は,何故か時々思い出したりする・・・

「ダンク−ガ」の後レギュラ−が一緒になる機会はなかったのだが,ある制作会社の忘年会の席で久しぶりにお会いした時、兼人さんは、最近はキャスティングの事で相談されたりする事もあるんだと話されていて、「実はこの前も、誰か若手でこの役にいい人はいないかなと聞かれたんだけど、俺が思った、俺が知っている若手って(その時僕は三十四歳)茂ちゃんしか思い浮かばなかったのよ、で、中原茂くんはどうですかって言ったら、もっと若い人でって言われて(笑)、だって俺が知ってる若手で芝居もちゃんとできるのっていったら茂ちゃん位しか思い浮かばなかったからさぁ」と、気持ちよく酔っていた兼人さんにそう話された。
僕は,兼人さんが僕の事をそんな風に思ってくれていたという事が嬉しく、「認めてくれていたんだ」という思いは、僕の心の中に静かな波紋となって広がっていった・・・

「また一つ星が流れた・・・」
この世界にとって,堕ちてはいけない星がまた一つ堕ちた。
僕の頭の中に浮かんだのはその思いだった。
塩沢兼人さんは,もう今では少なくなってしまった「侍」の一人であったと思う。
僕はこの世界に入った時から,何故そのように思うようになったのかは忘れてしまったが、「侍でありたい」と強く思っていた。
「何があっても侍でありたい」と・・・
自分の生き方を曲げる事をよしとせず,志を忘れず、誇りを失くす事を決して肯んじえない。
きっと兼人さんをはじめ,その様な雰囲気やオ−ラをもった先輩達と接してきたからだろうと思う・・・

語りつがれなければいけない話がある。
忘れてはいけない人達がいる。
いつも心の中に・・・
もっともっと自分に厳しく,もっともっと人の内なる世界に踏み込んで行きたい。
そして,そこで「何か」をこの心に感じたい・・・

最後になりましたが。
「兼人さん,まだ先の事になるでしょうが、僕がそちらにいった時は、又レギュラ−番組ご一緒したいです。
あっ,その時には、上善水の如しを手土産に持っていきますので・・・僕も今では立派に飲めるようになりました。(量はそんなに飲めませんがハハハハハハ・・・・・)
それでは,ゆっくりお休み下さい・・・」

謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。


2000/5/12  中原 茂


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