エッセイ集 |
『夢と現実の狭間で』 |
12 「空がフィ−ルド」 |
「アクロバンチ」の録りが終わる2週間程前,事務所から一本の連絡が入った。 「来年のサンライズの新番組の主役が決まりましたので,そのスケジュ−ル連絡です。」 「えっ!」という思いと、「やった!」という思いが交錯していたと思うのだが、何故僕が選ばれたのかは結局分らずじまいだった・・・ その頃僕は,デヴュ−作「魔境伝説アクロバンチ」の蘭堂ジュン役で終わってしまうのでは、という危機感を抱いていた。 それは自分がこの世界に,何も出来ない中途半端な状態で入りこみ、「僕がやっていい程この世界は甘くない」とずっと思い悩み続けていたからであり、どういう形であれ、主役で出てしまった以上、消えるか、残り続けていくかの二通りの道しか僕には残されていなかったからである。 本来なら,ガヤと呼ばれる、その他大勢から入り、端役をもらいながら、様々な勉強を並行して行ない地力をつけていく、そして、主役が出来るようになればと・・・ そういった道筋を自分でも思い描いていただけに、どうあがいても出来ない自分に、周りの諸先輩方と同じように出来ない自分に対して、僕はどうしようもない、やり場のない憤りのようなものを抱え、毎回現場に臨んでいた。 時には事務所の先輩がバイトをしているレストランでご馳走になっている時に、涙が勝手に流れ始め、暫く止まらなかった事もあった。 そんな時その先輩は,何も言わず、優しい瞳で、僕の気持ちが鎮まるのを待っていてくれた・・・ 僕は不甲斐ない自分が許せず,でもどうにもならない状況の中で、それでも何とかしようと、もがき、あがき続けていたんだろうと思う・・・ そんな中で,僕が励みとしていた言葉があった。 「僕は,中原くんが、2,3年で消えていく人だとは思っていないから、今は苦しいかもしれないけど頑張ろう!」 最後まで決まっていなかった主役に僕を大抜擢してくれて,僕を育てようとしてくれた、Mディレクタ−。 あの言葉がなかったら,僕は、ジュンを最後までまっとうできたか分らないし、あのタイミングでこの世界に入っていなければ、僕は、声優になれていなかったかもしれない・・・ ただ,確実に「アクロバンチ」は終わりを迎えようとしていた。 相撲で言うならば,土俵際、俵に足が掛かって、もうこれ以上はさがれない、といった状況に、僕は気持ちの上で追い込まれていた。 「これで終わるのか・・・」と・・・ そんな時だった,あの連絡が入ったのは。 この出会いも,今思えば、運命的であったのだろうと思う。 ちょうど,年を挟んで、21歳から22歳になろうとしている冬の事だった。 『走り始めた時』 今では,アニメは若い世代が中心になってしまっているが、僕がまだ新人の頃は、殆どが、中堅、ベテランの方で固められていた。 主人公には新人を使っても,周りはベテランでという現場が当たり前であった。 そんな中「ダンバイン」は,様々なところから人を集め、オ−ディションを行っていたようだ。 だから「ダンバイン」のキャスティングは,当時のものとしては画期的なものであった。 主役には2年目の僕(当時いた事務所のマネ−ジャ−から,新人と呼ばれるのは1年目だけだからねと言われていたので・・・)、そして新人の子が多く、周りを固めるべき主だった役等にも、アニメが初めてという方や、顔だしばかりやっていて声の仕事をした事がない方、時代劇の悪役でよく顔を見かける方等、その頃の現場としてはめずらしい雰囲気に包まれていたように思う。 そして,キャスティングもさる事ながら、「このダンバインは実験的な作品です」と、T監督からの挨拶があったように、全ての面において、新しい「何か」を創り出す空気に満ちていた、「何が生まれるのか」、出演者それぞれが、期待と不安を胸に抱いていた番組であった・・・ 最初の頃は週3回スタジオに入っていた。 1回目は,僕や新人達中心の、フィルムを回しながらのマイク前でのリハ−サルの日(当時はまだフィルムだった。今では殆どがVTRなのだが・・・) 2回目は,通常の本番の日。 そして3回目は,ダビングの日で、この時は、前回ARした分を見学するといったもので、場合によっては、その場で録り直しをするという事もあった。 その時の僕自身の心境を表すピッタリの言葉を,「ダンバイン」第一話のラストで、ショウがモノロ−グという形でつぶやいている。 バイストンウェルの空を見上げて,「いったい、ここは、どこなんだ・・・」と。 この言葉に全てが集約されているといっても過言ではなかった。 突然バイストンウェルに召還されてしまったショウと地上人達。 そして,暗中模索の中、光を見つけようと必死に走り始めていた僕。 その様々な思いが入り乱れた中で,「聖戦士ダンバイン」は始まった。 本番のランプが灯り,スタジオが暗くなる中、僕は、バイストンウェルの地に佇む自分を、ショウの視線でバイストンウェルを捉え様としている自分を感じていた・・・ 『途切れぬ線』 今でも一番鮮明に憶えているのは,ショウがダンバインに乗って初めて飛んだ時の光景だ。 眼下にバイストンウェルの風景が広がり,束の間僕は、本当に自分が飛んでいるのではないかと錯覚してしまった。 それ程僕にとってインパクトの強いシ−ンであった。 そして,ショウの名ゼリフの一つである、「一方的じゃないか!」 バイストンウェルで,何が善で何が悪なのか分らぬまま、地上に戻れる道を模索しながら苦悩するショウの、これはその時の心情を端的に表した言葉ともなっている。 僕はショウと一緒に,その言葉を叫び続けていた・・・ デビュ−作「アクロバンチ」では,主人公ではあったのだが、セリフはそう多くはなかった。 しかし,この「ダンバイン」ではセリフも多く、ショウが芯としてしっかりと生きてこなければ全体を壊しかねないという事もあって、僕はバイストンウェルという世界に、ショウに、全身全霊を傾け集中していた。 その頃になるとファンレタ−も増えてきていたのだが,いくつか同じような内容のものを頂いていた。それは,「ショウは、あのアクロバンチの中原茂さんだったんですね。アクロバンチのジュンを聞いた時は、凄くヘタな人、という印象があったので、ショウをやっている人が同じ人だとは驚きです」というものであった。 僕にしても,「ダンバイン」をはじめて一番驚いていたのは、アクロバンチの時に比べて、「あっ、前よりしゃべれるようになった・・・」という事であった。ハハハハハハ・・・・・ あの当時,頭の中は「ダンバイン」一色であった。 スタジオに入っていた時の僕は,常に緊張し続けていたように思う。 台本だけを見つめ,いや、見つめようとしていたのは、その向こうに広がるバイストンウェルの世界で生きるショウ達の姿だったのかもしれないのだが、僕が叩き込まれてきた中に、「セリフを喋っている時だけが大切ではない、セリフを喋っていない間に、その役がどういう心情でいて、どんな行動をとっているのかを想像しないとダメだ」と言われていた事があった。 例えば,最後にセリフが一つしかないとしても、その一つの言葉を言うまでの道程とはあって然るべきもので、その間の心の揺れや移り変わり等が重要なのだと。 だから,気持ちは続いていないと、途切れさせてはいけないんだと言われていた・・・ 『生きるという事』 だから僕は,スタジオに入り、台本を開いた瞬間から、「ダンバイン」の世界に入り込み、ショウがでていない時でも、ショウの姿を、スクリ−ンの向こうに追いかけていた。 そして,そんな時だったと思うのだが、言葉が自然に溢れてくる感覚というものを初めて体験した。 自分がしゃべりながら心の内では,「ショウ、お前はそんな風に喋りたかったのか」というような、ショウが自分から動き始めた瞬間というのは、確かにあった。 「ショウが実在していて,私のすぐ隣で喋っているようです・・・」 このようなファンレタ−を貰う様になったのも,この頃からだったと思う。 今の自分を形ずくっているものの基本ができたのは,デビュ−作「アクロバンチ」と、この「ダンバイン」であった事は間違いない。 「役を演じるのではなく,その人を生きたい」 きっと僕はその頃から,そう在りたいと思っていたんだろう・・・ ある雑誌にあった,T監督のインタビュ−記事内のコメントに、「ショウは一人歩きをするようになって、コントロ−ルが出来なくなってしまったので・・・」 といったような内容のものが載っていた事があった。 これを読んだ時僕は,「ショウは、確かな一人の人格として、自分の足でしっかりと歩き始めたんだな」と思い、何故か、「よし!」と、心の中で頷いていた。 実際のところは,監督にその話しについてうかがってみた訳でもないので、監督がどのような気持ちでそのように語られたのかは分らないのだが・・・ 今思い出した事がある。 あれは「ダンバイン」も中盤を過ぎようとしていた時だった。 その頃僕等は,Fディレクタ−から、「中弛み」を指摘されていた。 番組にも慣れ,緊張感がなく、どこかが、何かが緩んでいたのだろう。 僕はあるシ−ンのやりとりが出来ず,中々OKを貰えないでいた。 僕自身,何故自分がダメなのか、何でいけないのかが、よく分からずにいた。 そんな中,監督がスタジオに入ってきて、僕の座っている前に来て、足の上に両手を置き、僕の目を見て、「甘えないで下さい」と言った。 そしてそのまま監督はスタスタとブ−スに戻って行き、「じゃあもう一度いくよ」と、ディレクタ−から声が掛かりフィルムが回りはじめた。 僕は、怒りで体が震えるのを感じていた。 「何が甘えないで下さいだ!」と・・・ 「僕が甘えている訳がないどろう!」と・・・ そのシ−ンが終わり,ブ−スを振り返ると、大きな丸を頭上に作った監督の姿があり、ト−クバックで、「何だ、やれば出来るじゃないですか!」と満面の笑みを湛えた監督の声が響き渡った。 上に書いた事を,如実に体験したのはこの時だったのかもしれない。 あのシ−ン,シ−ラ・ラパ−ナ初登場の回での、ある場面でのシ−ラとの会話。 怒りが,僕の中の何かを動かしていた。 「何が」と聞かれても答えに困るのだが、確かに違っていた。 そして,そこには確かに、ショウがいた・・・ 監督の言う通り,僕は甘えていた。 いつのまにか,自分の気持ちのいい世界に安住していたのだ。 「僕は違う,自分はそんな事とは無縁だ」と思っていた僕自身が、一番弛んでいたのだ。 それをハッキリと自覚させられたシ−ンであった・・・ 『前奏曲(プレリュ−ド)は熱く』 ショウが,チャムが、マ−ベルが、トッドが、ガラリアが、バ−ンが、ニ−が、キ−ンが、リムルが、ショットが、ドレイクが、シ−ラが、エレが、ビショットが、アレンが、フェイが、ジェリルが、その他大勢のオ−ラが、輝き、駆け抜けていった「ダンバイン」の世界・・・ 終了して約17年を経た今も,そのスト−リ−は、その映像は、色褪せる事なく、いやそれどころか、新たな輝きを放ち続けている。 あの第一話の映像をはじめて見た時。 バイストンウェルという言葉の響きに,世界観に魅入られ、引き込まれていった時の不思議な感覚は、今でも確かに僕の中に息ずいている。 ダンバインは,僕に、「この世界で自分も生きていけるかもしれない」という自信を抱かせてくれた作品でもあった。 T監督にこんな事を言われた事がある。 「あなた方はこういう仕事をしているのだから,体からオ−ラを発散させていないと・・・ だから人混みの中にいても、存在が分るようでなければ、紛れてしまうようではダメですよ」と・・・ 僕はオ−ラを発するという事に関しては心の中で頷いていたのだが,以下の事に対しては首を横に振っていた。 僕は,普段の時は、周りに同化してしまっている存在でいいと思っている。 違う「何か」を発するのは,スタジオに入って、マイクの前に立って喋りはじめた時だけでいいのではないのかと、そんな風に思っていたからだ・・・ 「勝負をするのはマイクの前」 こういうスタイルが自分にはあっているのだと,そんな風な考えを持つようになったのも、この時位からなのかもしれない。 僕にとって「ショウ」は,役とシンクロするという事を、役になる、生きる、という事を実感させてくれたキャラクタ−だった。 あの時,ショウと共に見上げていたバイストンウェルの空。 その空の向こうには,険しいかもしれないが、遥かな未来へと続く道を見る事ができていたのだと信じたい。 僕はこの時,ダンバインと共に、ショウと共に、はじめて翔ぶ事が出来たのかもしれない。 僕の仕事のフィ−ルドでもある,空に向かって・・・ |
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